多治見市美濃焼ミュージアムでもって、美濃焼の1300年をざっくり振り返ったところでたどり着いたのは現代陶芸の世界でありますよ。安土桃山時代に茶陶で極めた栄華、そしてその後に続く日用雑器の大量生産などの時代を経て、いわゆる「せともの」とひと括りにされてしまう日用陶器を今でもたくさん作り出している傍ら、アートたる一点ものの作陶もなされるに至っているわけですね。もはや器とはいえないオブジェの世界もまた美濃焼にあると知らしめてくれる展示室へと、いざ。

 

 

「美濃現代陶芸の精華」と謳われた展示室内には、茶陶作りで培われた創意工夫を受け継ぐ茶碗などもあるところながら、技法の発露はそれに留まらないことを教えてくれるのですな。

 

 

「藍色志野花器」という名付けを見れば、「ああ、この細かいのはなるほど志野の釉薬だったのだね」となったりするわけです。ただ、形状が器である限りは実用性あるものと見ることもまだできましょうけれど、器自体が(何かを容れるという以上に)「私を見て!」状態になってくるのですよね。

 

 

 

 

いちばん下のカスタードクリームに抹茶アイスを盛ったような器は「器」のネーミングがなされなければもはやオブジェかとも。さりながら、オブジェ、オブジェしたものはさらにいかにもな。

 

 

 

このあたりになりますとタイトル付けからして凝っておりまして、上から順に「始まり」、「王の祈り」、「苦闘する形態Ⅲ-1」とは…。もはややきものであることは目的ではなしに手段でもありそうな気になってこようかと。真ん中は石彫のようでもあり、下はプラ素材か?と見えたりもして。ただ、改めてこれらをやきもので造形していることには驚きを禁じ得ないところはありますけれどね。ここに挙げてきたものが陶芸コンクールの入賞作でもあるわけで。

 

とまあ、あちらこちらの美術館で彫塑作品、造形作品を目にするのと、まずは同じ感覚で臨む必要があったなとは思うところでして、入口を「やきもの」というところに置いてしまいますと、どうしてもこちらの志野茶碗の方に目が向いてしまいましょうから。

 

 

これもリアルタイム現代の陶芸家・林正太郎が作ったもの(つまり桃山茶陶の頃のものではなし)で、「正太郎志野」てなふうに呼ばれたりするほどの重鎮のようですけれどね。

 

ということで、現代の美濃焼は工芸(クラフト)と美術(アート)、双方の領域で新たな造形を生み出しているのであるなということがよおく分かったのでありましたよ。