新聞の夕刊に週一ペースで『手塚塾』という連載を見かけるのですけれど、各界の著名人(?)がそれぞれに思い入れある手塚治虫のマンガについて語るというものですな。そんな中、しばらく前に務川慧悟という若手ピアニストが手塚による音楽に関係したマンガをいくつか紹介していたのですね。

 

いずれも短編のようで、全集も刊行されている手塚作品なだけに、どこかしらには収録されて読めるのであろうと思ってはみたですが、このほどようやっと思い出して検索するに、ちくま文庫で出ている『手塚治虫マンガ音楽館』という一冊で読めることが判明、手に取ってみたのでありましたよ。それこそ音楽に関わるマンガ作品ともども、手塚の音楽愛(取り分けクラシック音楽愛)を語るエッセイも収録されています。

 

 

巻末の編者解説に曰く、手塚治虫という人のクラシック音楽好きは夙に知られるところであって、制作中は常にLPレコードがかかっていたのであるとか。そこで、レコードがかかっている=手塚治虫は制作中という思い込みを利用して、編集者が手塚を缶詰にしていた折、弟子に音楽が途切れないように言い含めて、缶詰状態から脱出を図った…なんつうこともあったそうな。

 

まあ、そんな手塚ですので、そりゃあ、音楽をモティーフにした作品を描いていても不思議はない。とはいえ、「音楽館」と銘打ったこの短編集が音楽にまつわるとして選び出した作品にはかなりのバリエーションがありますですね。踊りや和太鼓を取り上げたもの、はたまたかつて新宿西口で起きた反戦フォークゲリラに描いたものまでありましたなあ。

 

このあたりには手塚自身の政治信条(と言っては大仰かもですが)が潜んでいるのでもありましょうか。巻頭に置かれた一編『虹のプレリュード』は若き日、ワルシャワ時代のショパンを描いて、それだけならば音楽マンガなわけですが、ショパンと革命との関わり(あるいは、関わらなさ)を語るという。続く『雨のコンダクター』は実話ベースということで、指揮者のレナード・バーンスタインが1973年1月19日に開催した「平和のためのコンサート」を題材にしていると。

 

しかしまあ、ここでの話は単に演奏会が行われたということではなくして、演奏会当日はリチャード・ニクソン、二期目の大統領就任式前夜で、こちらはこちらで祝賀演奏会が開催されるというタイミングにぶつけてきたのですなあ。祝賀演奏会の方はいわば取り巻きやら金持ちやら有力者が集まる場だったでしょうけれど、ベトナム戦争に倦んでいた一般の市民たちは大雨という悪天候にも関わらず、続々と「平和のためのコンサート」に駆けつけたということです。これをマンガ作品にした手塚の思いはやはり斟酌するところとなりましょうねえ。

 

ちなみに祝賀演奏会の方で登場したのは指揮者ユージン・オーマンディーとフィラデルフィア管弦楽団であったそうな。プログラムにチャイコフスキーの大序曲「1812年」があることに、ベトナムでの戦勝意識を煽るような臭いを嗅ぎつけた団員たちがボイコットを表明するような場面も出てきますけれど、なんだかオーマンディーの職人ぶりが徒となり、一方ではバーンスタインが持ち上がることになってしまったような…。

 

ところで余計なこととは思いつつ、「手塚先生、これでいいの?」という部分も。『0次元の丘』ではやはりベトナム戦争が通奏低音となりますが、注目された一曲はシベリウスの『トゥオネラの白鳥』。トゥオネラがフィンランドの伝承で冥界の川とされることがマンガのお話とは絡むわけですけれど、作中ではこの曲を収録した1枚のレコードがクローズアップされて、「これは名指揮者ベルヌがふきこんだレコードだ」と吹き出しに。さりながら、絵として描かれたレコード盤のレーベルには「COND BY SIR MALCOLM SAG」と読める文字が…。

 

指揮者エドアルド・フォン・ベルヌとは手塚の生んだ架空のキャラクターながら、オランダの指揮者エドゥアルト・ファン・ベイヌムをイメージしたと想像されているようで。なんとなれば、べイヌムも『トゥオネラ』を録音しているし…となるようですが、ではあのLPの文字は?どうしたって、イギリスの指揮者サー・マルコム・サージェントではなかろうかと。このかみ合わなさは手塚先生、いいのでしょうか…。

 

 

奇しくも手元にあるシベリウスの管弦楽曲集はサー・マルコム・サージェント指揮ウィーン・フィルによる録音(あいにくとLPではありませんけれど)で、とても聴き馴染みのあるものでして。マンガの中に描き込んだからには手塚も聴いたかもしれないシベリウス。久しぶりに取り出して聴きながら、『0次元の丘』と、そのほかの作品も反芻してみたい次第でありますよ。