北欧の国々の映画はいくつか見たことがあるものの、アイスランド映画というのは初めてかも。『〈主婦〉の学校』というドキュメンタリー、タイトルはてっきり日本で(独自に)邦題用に考えられたものかと思いましたら、英語タイトルも『The School of Housewives』だったのですなあ。
まずは公式HPにある紹介文から。
世界最北の首都、アイスランドのレイキャビクに、1942年に創立された伝統ある「主婦の学校」がある。寮での共同生活を送りながら生活全般の家事を実践的に学ぶことができる、一学期定員24名の小さな学校だ。かつて、義務教育後に進学の機会が少なかった女性たちを、良き主婦に育成することを目的としていた家政学校(花嫁学校)は、世界のあちこちにあった。その多くが衰退していくなか、この学校は、1990年代に男子学生も受け入れて男女共学となり、現在まで存続している稀有な存在である。
で、この学校が稀有な存在となりながらも存続している理由のほどは…と言えば…。
昔からほぼ変わっていないという教育内容には、家事の基本を押さえるだけでなく、破れた衣服の修理や食品を使い切ることなど、今の時代に必須な環境に優しいサステイナブル(持続可能)な学びも含まれている。学位をとるためではなく、生きることに役立つ知恵を身につけ、手に技術をつける学び、つまり〈自立した人生を楽しむための術〉が、この学校の教育にはあふれている。
北欧というだけでいわゆるSDGs的なところには「意識高い系」のように思ってしまうわけで、男女共学とはジェンダーフリーの観点からとも思うところながら受講者に(必ずしも意識的ではないにせよ)着目されているのはむしろ環境へ配慮する意識の方なのかもしれませんですね。
ただ見ていて素朴に思い巡らすのは、この学校が教えていることというのは(全てが全てでないとはいえ)環境云々以前に、実はヒトが生きていく上で(それこそ自立した人生を楽しむためといった大仰なことでなしに)必要な術なのでもあろうかと。ヒトは「食べる」ことなしに生きてはいけない。食べるといっても、まるのままの「キャベツばかりをかじって」いるわけにもいかないですよね(かぐや姫の歌、『赤ちょうちん』に出てくる貧しさの象徴ですな)。となれば、なんらかそれなりに調理することは必須になってきるわけで。
また、ヒトは衣服を身に付けるようになってますから(今の世の中、どんなにポリシーがあっても素っ裸で日々で歩いていた捕まってしまいます)、衣服は当然に汚れる、傷む。汚れれば洗濯し、傷んだ個所は補修することがやっぱり必要でありましょう。
さりながら、調理された食べ物やアイロン掛けまで済ませられた洗い物、そして傷んだ衣類に代わる新品の服といったものは、自らそれに携わらずともお金を出せば買える、頼めることになっているのが現代ですね。そして、そうしたところに必要なお金を稼ぐために日々働いており、働く時間が必要であるからそれ以外のこと(いわゆる家事の時間を含め)に割く時間がないということにもなりましょうか。これがもはや抜け出せないスパイラルであるかのように思えてしまうわけですが、どこかでふと「違うかも…」と考えてみてもいいのかもしれません。本作はそのあたりのとっかかりになるようにも。
そうはいっても、働くこと(賃金労働)そのものを、やりがい、達成感、自己肯定感、自己実現、社会との関わりなどなどの点で、それこそ肯定的に捉えることもできましょう。その場合には、日々の家事の類は(言い方が悪いですが)お金で解決するに如くはなしとなるのかも。ある種、餅は餅屋的な専業化、分業化が効率よく世の中を回しているとも言えましょうけれど、日々を過ごす上で「きほんのき」のような部分を預けっぱなしにするのはあまりにサバイバル能力に欠如することにもなるような、そんな気がしたものでありますよ。
外で仕事をする際にPCスキルはもはや欠くことのできないものとなっていて、おそらくはこれが日々進化している(つまりは次々と覚えなくてはならないことが増えてくる)ことでしょう。ですが、如何せん電気が失われるという事態(東京でも、東日本大震災の時の計画停電ようなことが無いでは無し)には生きていく上で役に立つことは他にあるような(だからといって、PCスキルが無くていいというのではありませんが)。そして、そんなときの生き残る術には男も女も無い…といったあたりにも、いまさらながら思い至ることになった映画なのでありました。