さすがに2週間も逼塞しておりますと、およそ遅読ながらも結構本を読み進められましたなあ。そんな読書のひとつがこのようなものでして。

 

公立図書館の近所の小さな分館でも、折々の話題を取り上げてテーマ展示なるコーナーが設けられていたりしますですね。まあ、「折々の話題」というには今さらですけれど、訪ねたときに「SDGs」関連本のコーナーが設けられていたのでありますよ。基本的には「SDGs」が取り上げている項目のそれぞれに関わる内容の本を選び出して、分類されている。と、その中に「異論」と分類されたものが数冊あったのですな。集英社新書の一冊、『カオスなSDGs』もそこで見かけたのでありました。

 

 

予て申しておりますように、たくさんの人が集まる、長い行列が作られる…といったところには近寄らない質だもので、同様に誰もが関心を示すものに対しても斜に構えるようなところがありまして、まあ、言ってみれば「SDGs」にも似たような感覚がありまして。

 

もちろん、掲げられた目標(?)に異を唱えるとかいうことはないですし、ある部分は(極めて個人的な範囲内でですが)積極対応している(つもりの)項目もあったりする。されど、そもそも「持続可能な開発目標」ということ自体、矛盾含みでない?と思ったりしているものですから、「SDGsにモヤモヤする」という本書を手にとってみた次第なのですな。

 

日ごろから「何ごとにも批判的な視点を欠いてはいけんですなあ」なんつうことを漏らしたりもしておりますので、異論は異論として「こういう考え方もあるか」と受け止めなければならない(もちろん、その後にどう考えるかは別問題ですが)ものの、読み始めた当初は、自身の思うところと書かれてあることの間にあるギャップが大きすぎて、愕然としたものなのですね。

 

一例としては、プラごみの問題。かなり乱暴なまとめ方をしてしまいますが、要するに「プラごみは焼却すればよい。そこから出る二酸化炭素はさしたるものではない」てなことになりましょうかね。個人的にはプラごみを燃やした後の焼却灰が気になったりしているわけですが、「少なくとも日本の場合、大半のプラスチックゴミは、自治体によってきちんと収集されて、焼却やリサイクルといったしかるべき形で処理されているはずです」と、焼却後のことには触れられずに、しかも「…はずです」というのには「うむむ…」と思ってしまったのでありますよ。

 

そんな具合ですので、一旦はそのまま投げ出して…となりそうになったものの、些かの間をおいて(心穏やかにして?)先に読み進めますと、だんだんと著者の言いたいこと、というよりも著者の言いたいことと自ら思うところに親和性が無いではないことが分かってきたような気がしたものです(ですので、上のプラごみの部分だけを切り取ったことで、一事が万事、そういう本ねとは思わずにいてほしいところです)。

 

ちなみに著者は地球物理学者だそうですけれど(勤務する大学でSDGsに取り組むことになってしまったようで…)、これまた誤解の元となりそうなくらい端折って言ってしまいますが、46億年に及ぶ地球の歴史には、現代と比べてももっと暑かった時期、もっと寒かった時期、さらには取り巻く気体が二酸化炭素ばかりであった時期もある中で、それぞれの条件に適合する生物が生まれ、環境に変化があればそれに適応する種が生き残っていったりもしたのだ、とはその通りでしょうなあ。

 

ですのでここで気付かされるのは、地球環境の保全などと言って、ともすると地球が悲鳴を上げているようなイラストさえ現れたりもするわけですが、地球そのものは常に沈黙しており、地球環境という言葉の実は「地球に住まうヒトにとっての適切な環境」を言っているのに違いないということではなかろうかと。

 

ここまで来ますと(といって、これからのところは本書でなくして個人的見解なわけですが)、さも地球のことを慮っているようでいて、結局のところ人類は自分たちに都合のいいように自然を統御しようとしているだけなのかもと。今年の夏のように酷暑が続きますと、「ああ、二酸化炭素が…」と思ったりするところながら、地球を取り巻く環境の中で人類が及ぼす影響だけが悪さ(人類にとっての悪さという意味ですが)をしているのではないかもしれない…と、考えること自体、日ごろ「物事を批判的に…」と自ら言っていることと合致するわけですし。

 

著者にしても、「SDGsには反対です、やらなくてよい」と言った異論を展開しているのではなくして、国連が掲げた目標であることを絶対善として、皆が一斉にベクトルを同じくして取り組むものではないのではないか、だからといって強ち違うということではなし、それだけに「ほどほど」に取り組む、その前提として世の情報を鵜呑みにするのでなくして、自ら考えたところでもってほどほどに取り組むを良しとしているのではなかろうかと思ったものでありますよ。

 

しかしまあ、夏がかくも暑いのは勘弁と思うわけで、ヒトが地球環境に及ぼす影響がどれほどであるにせよ、少しでも有難からぬ気候変動に関わる要素をヒトがもたらしているとするなら、その部分だけでも何とかならんかと思ってしまうのも、人情ではありますまいか。