いやはやすっかりご無沙汰をいたしまして…。
で、早速にも四国ではこんなこと、あんなことがあり…と土産話に精を出すところであるわけなのですが、映画『新・男はつらいよ』はご存知でありましょうか。競馬で一山当てた寅さんが、一念発起して日ごろの恩返しとおいちゃん、おばちゃんらをハワイ旅行にご招待としゃれこむのですなあ。「あの寅さんが?!」と近所中にまで話は広まってしまったところが、旅行会社の社長が旅行代金を持って雲隠れしてしまい、ハワイは遠く夢の彼方へ。
ですが、近所の評判になってしまった手前、行けなくなったとは口が裂けても言えない寅さん、旅行に出かけたことにして締め切った家の中でもおいちゃん、おばちゃんらと逼塞するも…というお話。ご存知の方も多いでしょうなあ。
唐突にこうした話を引き合いに出したのは、このほど長らくお休みを頂戴しておきながら実のところ、四国には行っておらず、家に逼塞しており…という次第。そも今回のお休みは、父親の通院介助というところから始まったところながら、想定外であったことには父親が入院することになってしまったものですから。いやはや、1月にコロナで見送った四国の西側周遊の旅はまたしてもキャンセルということに。どうも縁の無い行先なのでしょうかねえ…。
ということで、この間、自宅に逼塞とは言い過ぎですが、何かしら連絡があっては…と、待機状態で出かけたといえば、一度池袋へ読響の演奏会に出かけたのみ。そこで会う友人と翌日から四国へという話でしたので、演奏会後には詳細を詰める機会(要するに飲み会ですが)とするばずが、壮行会になってしまいました。
で、その演奏会ですけれど、メインプロはベートーヴェンの交響曲第五番、いわゆる「運命」とは。ついつい四国の西側には縁の無い運命かも…と思ったり(笑)。ですな。もっとも、この愛称が使われるのはもっぱら日本だけでさって、「欧米の演奏会では見かけない」とは当日のプログラム・ノートにも。
演奏会の始まりにおかれた、よく知られているわりにじかに聴く機会の少ないオネゲルの『パシフィック231』も『ラグビー』も、それぞれ面白かったのですけれど、ここではやはりベートーヴェンのことを。「ジャジャジャジャーン!」と始まる出だし部分は知らぬ人のいないであろうこの曲ですけれど、その「ジャジャジャジャーン」からして「ほよ?」と。印象は曲が進むにつれ、深まっていったのですな。
「軽い?」「明るい?」…うまい言葉が見いだせないままに演奏が終わったところで、隣席で聴いていた友人の曰く「みずみずしい」とポツリ。なるほどなあと思いましたですよ。マリオ・ヴェンツァーゴという指揮者の演奏には初めて触れましたけれど、「スイスの名匠」というこの方、ステージでの立ち居振る舞いを見る限り、実に人の良さそうな、明るい性格とお見受けしたわけで、そのあたりからの推測ではオネゲルの2曲など実にマッチしていたような。
ただ、ブルックナーをお得意としているということでもあり、独墺系音楽にも造詣が深いのでありましょう。ただ、今回のようなベト5は初めて耳にしたような。聴いていて「何か、印象が違うな」とは思いこそせよ、違和感を抱くまでのことは無いどころか、新鮮、それこそ友人の言葉どおりに「みずみずしい」ベートーヴェンだったのですなあ。
そんなわけで、みずみずしいベト5とは、似た雰囲気の演奏が果てあったかなと、自宅に戻ってからしばし、手持ちのベト5のCDをとっかえひっかえ聴いておりましたよ。結果、当然ながらヴェンツァーゴはやっぱりヴェンツァーゴでしたな。
ともあれ、あれこれと今さらに同曲異演を聴いてみたベートーヴェンの交響曲第5番は、個人的にはクリュイタンス指揮ベルリン・フィルが一番しっくりくるかなと。ことさら第2楽章に注目すれば、ワルター指揮コロンビア響、また新鮮な軽快感ではマッケラス指揮ロイヤル・リバプール・フィルあたりも。独墺系のいわゆる大御所指揮者の場合、明らかなヴェンツァーゴの印象とは異なって謹厳な演奏と想像して手を出しませんでしたので、個人的な印象はこのようなものでありましたですよ。
だんだんと秋らしさが出てきて、自宅でも清々しく音楽を聴く環境になってきたような。その先駆けとなったベト5、いわゆる「運命」の聴き比べでありました。てなことをしているうちに、結局のところ、父親は「病院の食事は食った気がしなかった…」てなことを言いつつ退院。これに尽きそう側はやれやれと…。