今年の梅雨は(といって、東京・多摩に住まう者の印象でしかありませんが)蒸し蒸しと暑い一方で余り雨が降ってはおらないように思ってましたら、やはりだらだらと梅雨の期間は続くようで、全く見通しはききませんですな。ともあれそんな梅雨どきなればこそ、近所の図書館で『雨のことば辞典』なんつう本を借りてみたのでありますよ。講談社学術文庫の一冊です。

 

 

「読む」辞典ということではありましたが、やはり辞典は辞典、五十音順に見出し語と語釈がずらずらずらと。もちろん、雨に関わる言葉のみを集めたものですので、国語辞典のように厚くはないところながら、それでもなかなか読み進まんなあと。もっとも、小説などのように先の展開が気になってずいずいと読み進む類いの書物ではありませんので、まあ、降るのか降らないのかはっきりしないお天気のもとで巣ごもりしつつ、じんわりと言葉を味わうという読書の形でしょうか。なんとはなし、晴耕雨読なんつう言葉も思い浮かんでくるわけで。

 

ともあれ、長らく日本人をやっておりますが、今さらながらに「そうであったか…」と気付かされることも。それだけもの知らずであったということに気付かされると言った方がいいかもしれませんですね。例えばですが、「五月雨(さみだれ)」というのは要するに梅雨どきの雨のことだったのであると。

 

どうも、五月の雨という印象は新緑の若葉を濡らしてきらきらと輝かしく、爽やかなものであったのですが、実はじとじとと降る、あるいは梅雨の後期にどしゃっと降る雨のようすを思い浮かべるのが適当なようで。松尾芭蕉の「五月雨をあつめてはやし最上川」という句も、長く雨が降り続いて水量が大幅に増加した梅雨どきのイメージであったわけですな。このことは、古来使われてきた言葉の表現が旧暦に基づいていることを忘れてしまって起こることなのでしょうなあ。

 

もひとつは「時雨(しぐれ)」でしょうか。本来的には秋からもっぱら冬にぱらっと来る雨を指すようですが、個人的にはどうもかき氷アイスの「赤城しぐれ」とかその辺の印象から、夏限定とは言わないものの、本来の意味とは異なるイメージを持ってましたが、秋冬の雨と聞いていささか戸惑ってしまったり…。

 

とまあ、そんなふうに言葉のひとつひとつに「ほお」とか「へえ」とか言うのは人ぞれぞれでしょうから、気になる方は直接本書に当たってもらうといたしまして、ゆっくりと読み進める中での感想としては、日本語は何と語彙が豊富であることよ、ということでしょうか。文字として漢字を使うだけに、大陸由来の言葉もたくさん含まれているにもせよ、日本独自に生み出されたもの、さらには各地各所に伝わる方言的な用法にまで目をむければ、「雨」由来の言葉だけを集めて辞典ともいうべき書物ができあがるのですからねえ。

 

世界の「文字」の趨勢?としては、おそらく漢字のような表意文字を使っているのは少数派(中国の人口を考えると少数派ではない?)かと思いますけれど、文字そのものに意味が込められて、一文字であってもそこには単なる記号ではない含みを視覚的に感じとれることが、豊かな語彙を生み出す源でもありましょうかね。

 

それだからこそかもですが、「雨」という言葉を使わずにさまざまな雨降りの表す言葉がある。例えば「どしゃ降り」とか、例えば「夕立」とか。雨のふる状態や季節感などまでを感じさせるものでもあろうかと思うところです。良し悪しや優劣ではありませんが、「どしゃ降り」を英語で言えば「It is raining cats and dogs」という慣用表現が当てはまるのでしょうけれど、全部言い終えてニュアンスが伝わるとすれば、日本語の方が何と簡便であることかとも。言い換えとして「豪雨」といったり、「酷い雨」といったりしたらしたなりに、みな含むところに多少なりとも違いがあるのでもありますし。

 

しかしながら、そうした多様性ある語彙を持ちながらもどんどんとそれが使えなくなってきているような。文章を手書きでなしにワープロソフトを使い出すと漢字が書けなくなってくる。そして、さらには流行りのチャットGTPが普及すればするほどに使用頻度の低い語彙は淘汰されていってしまうように思えますしね。まあ、そんなことを言ってはいても、すでに個人的にも旧暦の下で培われてた言葉の意味合いを適切にはつかみきれなくなっているわけですから、これも時流といえばそれまでかもしれませんが、なんだかもったいように思えてならないような…。

 

ところで、本書の中から余談を少々。かねがね雨降りは週末に多いような気が(個人的にだけ?)しておりましたけれど、雲の中にある水分が雨粒という塊になって落ちてくるには、雨粒になっていくための核になる物質が必要なわけでして、人間が月曜から金曜に掛けて積極的に活動した結果、空気中にたくさんのちりやほこりを舞わせることになり、それが雨の核になっているのかもと。だから、週末には雨が多くなり、一度洗い流されるも翌週にはまたちりほこりが舞いあがっていくとか。雨は時に人災なのかもしれませんですね。

 

梅雨どきに豪雨が災害を引き起こすこともあり、そこから雨は災いの元とも見えるところながら、米作りに梅雨の雨降りは欠かせない、むしろ恵みの雨でもあって、そうしたことも含めて四季折々を雨の言葉に表してきたのであるなあ、としみじみ読み終えた『雨のことば辞典』なのでありました。