JR武蔵野線の新座駅を起点にして、野火止用水とその分水である平林寺堀に沿ってぶらり散歩をしてきましたけれど、そもそも新座に出向いたのは新座市の歴史民俗資料館を覗くことが目的なのでありました。ちょいと前に群馬県のかみつけの里博物館を訪ねて、展示を見ながら「かみつけの里と渡来人」のことに触れた折、「埼玉県の新座市という地名もまた朝鮮半島にあった「新羅」ゆかりであったのであると…」てなことに言及しておりましたので、この新座と新羅の関わりのほどが新座市の施設であればも少し詳しく知ることができようかと思い付いたわけでして。

 

事前に少々検索したところ、新座市歴史民俗資料館は。今年2023年の4月に場所も施設も一新して「れきしてらす」として生まれ変わった…と知れば、出かけてみようかいという気がむくむく湧きおこってきたという。そんな経緯でもって、このほど施設の目の前に立ったという次第です。

 

 

と言いつつ、実はこの新しい施設の目の前に立つのは2度目なのですよね。まさにGWの最中に一度訪ねて何と!「GW中の祝日は全て休館」とよもやの告知を入口前に見出し、愕然としたのですな。その時には新座駅からバスで乗り付けましたが、さほどの距離ではなさそうと感じたところから、仕切り直しで出かける際には野火止用水をたどって歩いて行こうと思い立ったので、今回の遊歩道ぶらりは怪我の功名とでも申しましょうかね。

 

とまあ、そんなふうな因縁含みの訪問ながら、そしてこの4月に新規オープンと聞き及んで勝手に期待度が高まってしまっていたからか、実際に展示室を覗いたときには「これだけか…」と落胆を禁じ得ず。そも入口には「れきしてらす」よりも大きな文字で「新座市保健センター」と記されており、新規オープンした保健センターの建物の片隅に間借りのように展示室があるといった印象だったものですから。

 

 

ということで、(たったの)一室に新座市の歴史の記憶をぎゅっと閉じ込めた展示空間は、いずこの歴史民俗資料館とも同様に、旧石器時代の昔々から語り起こされるわけですが、今回この辺はちと足早に。

 

 

ただ、昔も昔、あたりの地質的な成り立ちにはちと目を向けてしまいますな。富士山や箱根火山の噴火による堆積物が台地を作り(いわゆる関東ローム層)ですな)、河川流域ではこれが浸食されて河岸段丘や浸食による土砂が沖積平野を形作ったり…という土地柄であるようで。

 

新座市域は、荒川(入間川)に浸食された武蔵野台地が、南西から北東方向に向かって緩やかに傾斜しており、さらに柳瀬川と黒目川沿いには河岸段丘と沖積地が形成されています。

浸食されずに比較的高地として残った野火止台地、後に開拓が進められるようになりますと、とにもかくにも必要になるのは水ということで、野火止用水の開削となっていくのでありましょう。

 

ところで、関東地方では…と言ってはざっくりすぎますけれど、北西の山地から南東の海に向かって傾斜していると想定することから、関東地方の川はおおむね北西(または北や西)から南東(または南や北)に向かって流れているものと考えてしまいますな。多摩川しかり、荒川しかり、利根川しかり、というわけで。さりながら、野火止用水は南西から北東へと流れていたものですから、遊歩道を歩きつつ流れをたどっていると方角に少々混乱を来すところがありましたですが、そも台地そのものの傾斜に沿って作った結果だったのでありましたか、ふぅむ。

 

 

と、地形にまつわってひとしきり、野火止用水の振り返りを行ったところで、わざわざ「れきしてらす」を訪ねた肝心な点に関わる点、「新座と新羅の関わりのほどは…」展示解説ではどのようになっておるかといいますと…。

 

『続日本紀』によると、天平宝字2年(758)、現在の新座市・朝霞市・志木市・和光市辺りに武蔵国新羅郡が設置され、新羅人が移住してきました。この新羅郡はのちに爾比久良(にいくら)郡、新座(倉)(にいくら)郡と名前を変え、現在の新座(にいざ)市の由来となっています。

…って、これだけ?新羅人が移住してきた背景とかその後のこととか、そういうのは無し?まあ、手前勝手なもやっと感をぬぐってくれるように展示解説がなされるわけではありませんから致し方なし…ですが、何とも残念な限りでありましたよ。

 

 

ちなみに別室(会議室の机をかたしたという体でしょうか)では、「武蔵野線50周年記念 鉄道パネル展」が開催されておりましたので、こちらも覗いてみることに。以前立ち寄った清瀬市郷土博物館でも武蔵野線開業50周年のテーマ展示を見ましたですが、市内に駅は無いものの市域近くに駅があり、また線路が市内を通過している(だけ)という清瀬の展示は、それなりに武蔵野線を回顧するに足るものでしたですが、一方で市内に旅客駅も貨物ターミナルも抱える新座の方はただただ写真パネルを壁面に並べただけといえばそれだけのもの。ま、端から「パネル展」と言ってますから、嘘偽りがあるわけではありませんけどね。

 

なにやらぐだぐだ言うばかりになってしまってますけれど、新座市は自治体としてこうした施設(建物や展示というばかりでなくして、企画する人とかにも)にはあまり税金を投入しない方針なんですかね。財政的なことは分かりませんので、とやかく言えないものの、近隣の東京都清瀬市、はたまた埼玉県朝霞市はもそっと歴史・文化の側面に気を配っておるような。と、やおら持ち出した朝霞市のお話はこの後に登場しますので、しばらくお待ちくださいまし。