わざわざ「碓氷峠鉄道文化むら」を訪ねておきながら、到着早々にああでもないこうでもないと申してしまいましたですが、それはそれとして展示のあれこれを振り返っておこうと考えておりまして。まずは「鉄道展示館」なる上屋を覗いてみることに。

 

 

ここでは早速に、横川駅前にその動輪が展示されていた「峠のシェルパ」、EF63形電気機関車が出迎えてくれるのですな。厳しい峠越えにあたり、数多くのレ社を横川駅で迎え、峠の向こう、信州・軽井沢へと運ぶことをそもそもの目的として製造されたへという力自慢の機関車であるようで。

 

それがどれほどの力自慢であったかということは、展示解説にあった「碓氷峠けん引機関車の変遷表」を見れば一目瞭然ですな。このあたりの詳しいことは別棟の「鉄道資料館」で触れられておりますので、ここでは端折りますが、明治26年(1893年)の開業当初は蒸気機関車で押し上げ、横川から軽井沢まで峠越えに要する時間が75分(ちなみに今はそのくらいの時間で、新幹線は東京から長野まで行ってしまいますな)かかっていたのが、EF63(の重連)の導入によって17分にまで短縮される。しかも、押し上げる客車は12両もあったわけで。

 

 

ところで上の表に「昭和38年9月-アプト廃止」とありますけれど、アプト、アプト式というのは厳しい勾配を克服するため、スイスの山岳鉄道や大井川鉄道などで現在も使われている、ラックレールにピニオン(歯車)を噛ませて進む鉄道の種類でありますね。

 

 

当初の蒸気機関車もその後電化されてしばらくの間も、機関車は輸入に頼っていたわけですが、昭和9年(1934年)に国産の専用機関車、ED42形が誕生し、四重連で頑張ったようですな。その1号機が奥の方に展示されておりました。手入れがいいのか、ぴっかぴかです。

 

 

ともあれ、特徴は何と言ってもラックレールに噛ませるピニオンですので車両の下が覗けるようになっておりまして、そこには当然のように大きな歯車が。「おお!」と思いますねえ。

 

 

と言う具合に、鉄道展示館では峠越えに活躍した新旧2両(もはやいずれも旧ではありますが)の機関車を間近に見ることができるのでありますよ。一方で、上屋の壁面をおまけっぽく埋めている掲示物や、スペースの埋め草的な展示物もまた楽しからずやではなかろうかと。例えばこのような。

 

 

片隅に「61.3.3.改正」と書かれた横川駅(おそらく)の時刻表で、61とは昭和61年のことでしょうから、昭和も終わりが近い時期、そんな頃でもこのタイプの時刻表が掲げられていたというのが、昭和は終わり頃までやっぱり昭和だなと思ったり。先ごろの新聞で、鉄道各社には駅の時刻表掲示を廃止しつつある動きがあるそうな。世の中、なんでもスマホで検索する時代なれば、駅の時刻表も経費削減対象となるようですなあ…。

 

 

こちらの、パタパタバタパタと回転式デジタル時計のように表示が変わる発着列車の案内板もまた懐かしい。今では電光掲示板に置き換わってますが、かつて空港にはこれタイプの巨大な飛行機発着案内板がありましたですなあ。パタパタどころか、ガシャガシャガシャと大きな音を立てて一斉に表示が変わるのを、ついついいつまでも眺めてしまったり(笑)。

 

そんな雑多なものも置かれていた「鉄道展示館」を突き抜けますと、その先は開けた屋外展示場ということで。たくさんの車両がかつて車両基地だったところの線路上に配置されておりまして、次にはそちらをひと巡りしておこうと考えておる次第です。