「上毛野国紀行」と言いながら、実は古代の香り漂うのはかみつけの里博物館保渡田古墳群のお話だけでして…。まあ、歴史に関わるといっても時代は一気に飛んで、近代のお話があと少々。その目的地に向かうため、高崎駅で朝の信越本線に乗り込んだのでありました。

 

群馬県の高崎を発して、かつては長野、直江津と結び、日本海沿いを東へ向かって新潟に至る鉄道の大動脈のひとつであったわけですが、上越新幹線が出来て、東京ー新潟間が直結しますと、むしろ直江津から先は北陸本線に乗り入れて、東京と富山、金沢方面とを結ぶ幹線として機能しておりましたなあ。ところが、北陸方面へも新幹線が延伸されたことで、在来線の信越本線はずたずたの状態に。上信国境の碓氷峠越え部分が廃止され、そこから先も第3セクターとJRとがまだらに電車を走らせているような具合になってしまって。

 

ですので、高崎を発した信越本線は碓氷峠手前の横川止まり、群馬県内のみを走る盲腸線になっているところを、今回はそのどん詰まりにあたる横川駅まで出かけるのですけれど、思い切りローカル線化した信越本線に乗って沿線点描をしてみようかと思ったりしておりますよ。

 

そもどこかへ抜けることのできない盲腸線になってしまった信越本線にどれほど乗客があろうかと、さぞまばらな状況なのでは…と想像したところながら、高崎駅で折り返し列車の到着待ちの人たちが結構いたことにいささかの驚きを禁じ得ず。しかも(といっていいのかどうかですが)多くは若い女性なのでして、いったいどこへ行くのであるか…と。

 

高崎駅を出発した列車はほどなく一面に田園風景の広がる、それこそ保渡田古墳群を造った古代の豪族たちが開いた田畑そのまま残したような景色の中を進んでいくことに。そして、ひとつ目の北高崎駅に到着しますと、件の女性たちがぞろぞろと下車して行って、車内はすっかり(当初予想通りの)ローカル線の風情を醸すことになったのですなあ。何かあるのかと車窓から見渡しますと、目に止まったのが新島学園短期大学の看板でありました。そうか、短大生だったのか。

 

それにしても、新島学園短大とは「もしかして、あの人ゆかり?」と思うわけですね。幕末の動乱期に脱藩してアメリカに渡り、その後帰国して同志社を興した新島襄は、高崎藩のお隣にある安中藩の藩士の家に生まれたのでした。もっとも新島当人は江戸屋敷で誕生したので「ゆかりの地」というしかないですが。

 

とまれ、新島は同志社のほか、父祖の地である群馬にも学校を作ったのであるか?と思えば、どうやら「(勝手に?)肖った」くらいところであるようで。ゆかりの安中市内に中・高があり、お隣の高崎市に短大が設けられたのは1983年とか。比較的新しい部類ではなかろうかと。一般に、短大は学生確保が難しくなっていて、ともすると留学生頼みとして受け入れた多数の外国人学生が学校に通う以上にアルバイトをしていたり…といったことを報道されたりもしましたですね。

 

そんな中、(信越線に多少の学生が乗っていたというだけでは早とちりかもながら)地元の学生にとってある程度きちんと受け皿になっているというのはありうべき姿なのでもあろうなあと。若い人たちに大都市指向があって、群馬からすれば東京はさほどに遠いわけでもないですが、おそらくは地元・群馬への人材供給とそれを求めれる地元志向の学生たちの間をうまく取り持つことができているということなのかもです。

 

と、短大生たちを降ろしてかなり空いた列車は、数年前に観音塚古墳少林山達磨寺を訪ねるべく駅前で借りたレンタサイクルを漕ぎだした群馬八幡駅を過ぎて安中駅へ。観光ポイントは、先にも触れた新島襄ゆかりの地や中山道の宿場であったあたりを巡ることでしょうか。歴史的なところを離れれば温泉ということになりましょうけれど、それはむしろも一つ先の磯部駅になりますかね。昔話「舌切り雀」に関わりある磯部温泉への玄関口にあたります。

 

ちなみに、「舌切り雀」のお話自体は古来あちこちに伝わるところながら、明治期に磯部温泉を訪れた巌谷小波が童話として再構成する原稿を書き上げたのであるそうな。これによって「舌切り雀」は地域地域の昔話から全国的に知られることになったようで、磯部温泉が「舌切り雀」ゆかりを標榜するのはこういうことなのですなあ。

 

 

車窓から望む浅間山がだんだんと大きくなってきますと(左側の扉から何となくお椀を伏せたような山が見えているものと…)、列車は田園風景には別れを告げて山間部へ入っていき、松井田駅、西松井田駅に停車していきます。このあたりはもう実に静かなものですけれど、こうしたところにもスーツ姿のビジネスマンらしき人が下りていったりするという。日本全国のかなり小さい町にも出向く井之頭五郎(『孤独のグルメ』の主人公とは言わずもがな?)を思い出してしまいましたですよ。

 

とまあ、そんなこんなの沿線風景をたどって、今ではもうこの先に線路の通じていない横川駅に到着です。が、長くなりましたので、ここでの探訪のほどはこの次にということで。