どこかしらの施設を訪ねようとHPで交通案内といったページを見ると、
そこにはグーグルマップが貼り付いている…てなことが近頃はよくありますですね。


分かりやすくて便利なこともありますけれど、

周囲に目標物がほとんどないような場所を訪ねる場合、全くに立たないことも…。


以前、関宿城博物館 から鈴木貫太郎記念館 への移動経路を探ろうとして

グーグルマップを見たですが、辺り一面の田畑であって、

農道やら畦道やらをどう数えて何本目の曲がり角と考えたらいいのか。


曲がり角自体にも目標となるものが全くない…というマップをプリントして持っては行ったものの、
結果的にはよそ様のお宅の庭に紛れ込んでしまい、申し訳なくも通過させてもらったりしたですよ。


で、今回は群馬八幡駅 から観音塚考古資料館を訪ねるべくやはりグーグルマップを参照したところ、
これまた曲がり角の目標に事欠く状況に(といって、関宿ほどに田んぼの中ではありませんでしたが)。


いわゆる市街地然と区画が整理されているわけでもありませんから、
うねうねした道を一本間違うと取り返しがつかなくなりそうな気がしていたわけですけれど、
このときばかりは思いもよらず、ところどころに案内看板が行く先を示してくれていて、
何とか順調にたどり着くことができました。


二子塚古墳


途中でふいとこのような地形が現われますと「ブラタモリ」ではありませんが「!」となって、
何の案内板も見当たらなくとも「こりゃあ、前方後円墳だな」と思うところがあり、
こうしたことからも目的地に近付いていることを実感するのでありました。
(ちなみに後からあれこれの解説を見て、これは二子塚古墳に違いないと)


程なくして観音塚考古資料館に到着となるも、朝早くまだ開館時刻まで少々の時間が。
そこで古墳自体を先に見ておこうと、徒歩2~3分程度離れた観音塚古墳に向かったのですね。


国史跡 観音塚古墳


いくら古墳が古いからとて

どれもが指定されるわけでもない「国指定史跡」となっている観音塚古墳。
現地の解説板には、こんな記載がされておりました。

本古墳は、高崎市街地西方の八幡丘陵に所在する大型前方後円墳である。墳丘長は現状105mで、周囲に堀を巡らす。6世紀末~7世紀初めの築造で、前方部の幅や高さが後円部を凌ぐのは、前方後円墳終末期の特徴である。

確かに間近で見上げると大きな造りだと思うものの、周囲にあったらしい堀はすでになく、
その後に造られた
道路沿いにびっしりと民家が立ち並んでいる。

そんな中に忽然と姿を現す全貌を写真に収めるのは、遠望できるポイントが無くどうやら不可能。
せいぜい頂上に登って、鞍部と向こう側の盛り上がりを眺めやることで雰囲気を偲ぶといいますか。


観音塚古墳の墳丘上で


ということで全体像は掴みにくいですが、この古墳の凄いところは石室であるようす。
幸いにも中が真っ暗ということもなく、入って見ることができました。


横穴式の石室へ


で、凄さの所以ですけれど、石室を構成する石が何とも巨大であること。
中には55トンもある自然石が使われているそうなんですなあ。
重量の想像まではつかないものの、なるほどでっかい石が積んであるとの印象です。


巨大な石組みの石室内


で、何でも1945年に防空壕を造ろうとして掘ったところが、お宝ざくざくの状態であったとか。
「銅製容器、鏡、装身具、武器、武具、馬具、須恵器など30種約300点あまり」という

副葬品の数々は一括して国指定の重要文化財となっているとのことでして、

その辺は観音塚考古資料館の方へ戻ってじっくりと。


観音塚考古資料館


観音塚古墳を始め周辺に点在する古墳、遺跡に関する展示解説がある資料館では、
1500年余りも前の人びとの加工技術を目の当たりにして、ひたすら「大したもんだなあ」と。


金製垂飾付耳飾(剣崎長瀞西遺跡・市重文)


これは(観音塚の出土品ではないようですが)今でもそのまま使えそうな装身具でありますね。
刀の装飾も凝ったものがありまして鶏の頭っぽい装飾が施されているものも(これは観音塚出土)。


銀装鶏冠頭大刀(観音塚古墳・国重文)


ところで先にみた石室を形作っていた数々の巨石ですけれど、

運ぶのに使った道具が再現されてありまして、このコロのような、そりのようなものは

「修羅」と呼ばれるそうですね。


再現された修羅


「修羅場」という言葉は本来的には

阿修羅とも関わる陰惨な戦いの場であるとか、そうしたことでしょうけれど、
この修羅を使って巨石を運ぶという作業も、ある種の修羅場だったりはしませんでしょうかね…。


近隣の遺跡からは半島からの渡来人がいたことを示す資料が出土して

半島との交流を窺わせ、巨石のことも古墳の大きさのことも併せ、

この地域にあった豪族の権勢の大きさが偲ばれる観音塚なのでありました。


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