まあ、こういうものは何を引き当てたとしても、何らかその人その人を分析(といいますか)したようなところが一切無い、偶然の産物のようなものだと思いつつも、興味本位に試みた結果はこんなんでしたなあ。
「なんでだぁ?」と思う結果ではありますけれど、この偶然でしたかないもの、考えてみれば神社でおみくじを引くのと、詰まるところは同じと言えましょかね。もっとも「結果こうですよ」と告げるのが霊験あらたかな(と思われる)お社であるのか、アメブロの運営会社であるのか、この違いは受け止める側にとって大きな違いではあるかもしれませんが、仕掛ける側(要するにアメブロ側)が次々に手を変え品を変え、この手の引きものを繰り出してくるのは、多くの人がこれを楽しんでやっている、つまりは違いがあると思ったものにあまりこだわっていない、てなことでもありましょうか。
ところで2023年、世の中はGWの真っ最中ですなあ。先にちょいと都心にも行ってきましたですが、いやあ、どこもかしこも人、人、人で…。おそらくはこれでもまだコロナ前の状況に至っていなのでしょうけれど、いったんほどほどの人出を経験してしまうと、今さらながらに「多いなあ」と。
で、読響演奏会で先日出向いた池袋(連休初日でしたな)では、演奏会後に友人と語らうべく居酒屋へと入ってみたですあ、そにには「箍が外れてしまった?」と思しき人たちが大きな声で語り、「がっはっは」と笑い合い、昭和な宴会を繰り広げていたのですなあ。これもかつてはごくお馴染みの光景だったですが、個人的には「もうそこへは戻れん」というか「戻る気はない」というか。全くもってうんざりして帰ってきたものでありました(全くもって個人の意見です)。
ともあれ、なんとかGWをやり過ごすしかないわけですが、混んではいても皆黙っているであろう映画館へと久しぶりに出かけてみたのですな。今年のベルリン国際映画祭で「まさかの」金熊賞《最高賞》を受賞(公式サイトにこう書いてありました)したというドキュメンタリー映画『アダマン号に乗って』を見てきたのでありますよ。
アダマン号とはフランス、パリのセーヌ河畔に留め置かれた木造船の名前ですけれど、実際に航行の用に供することはないでしょうな。要するに船の形をした水上施設でして、「精神疾患のある人々を無料で迎え入れ、創造的な活動を通じて社会と再びつながりを持てるようサポートしている」「ユニークなデイケアセンター」(公式サイトより)なのでありました。
たまたま上の占い?で出たライオンではありませんけれど、動物界には弱肉強食というような生存戦略があるわけで、要するに(いろんな意味で、ですが)「強い」立場が生き残ることによって、種としての生存優位性を高めようといったことが本能としてあるのでしょうなあ。さりながら、ここでもやはり、自然の法則への挑戦なのかもしれませんですが、ヒトは社会性を身に付けて来たが故に、弱者を切り捨てるばかりではない行動をとるわけでして、アダマン号もそのひとつと言えましょうか(とはいえ、世の中にはヒトと言えども平然と弱者を切り捨てるような方々もまたいるようですが…)。
おそらくはその背景として、種としての存続という動物としての本能よりも、個々がそれぞれに生きる尊厳(もろろん自分自身も含めて)に重きおくという、ヒトから人間へと変わってきたからでしょうか。ここで、これを敢えて「進化」と言わないのは、その過程でどうやら人間個々の尊厳に思い至りはしても、その他の生物、果ては地球そのものまでも、人間にとって都合よく使うことに終始してきてしまったようにも思うからでして。
ともあれ、世界中にはいろいろな人間がいるわけで、例えが適切でないかもしれませんが、何ごともバリバリできるという人もおれば、そうはいかないという人もいるわけですね。そこに対して、手を差し伸べるのが変化(進化)してきた人間らしさなのであるかな…とまあ、そんなことに思いを致したのでありますよ。
GWだからあっちもこっちも人出が多くて…という人間の多さ、これが一面では、だからこそ相互扶助が可能なのだと言えないこともない。普段、そのことに気付かずに「うんざりだ」などと言っているのは、自らが生きていく上で差し当たりのことは自分で出来ているてな思い込みがあるからでもありましょうか。もしかすると(もしかしなくても、ですが)これはとんでもない思い違いだったりもするのであるかなと、そんなふうに思ったものでありました。まあ、人それぞれに気付きの内容は異なるにせよ、何かしらの気付きに至ること必定と思われる映画でありましたよ。