Eテレ『旅するためのイタリア語』の毎月最終週は会話実践として町に繰り出すことになってますけれど、コロナ前の学習者役の人たちであれば実際にイタリアに出向いてロケを行っていたであろうに、最近の学習者役の方々はさぞがっかりでしょうなあ(他言語の講座も同様ですけれどね)。

 

ともあれ、イタリアに行けない分、日本の中でイタリアらしきお店を訪ねたりするわけでして、4月の最終週でまず訪ねたのはシチリア料理のレストランだったのですな。入口のところにはシチリア島の地図らしきものが掲示されていて、これを見た学習者役の俳優さんは「!」とばかりに口ずさんだのが、かの有名な『ゴッドファーザー~愛のテーマ』のメロディだったいう。

 

かほどにシチリアと言えば映画『ゴッドファーザー』が思い浮かぶくらいに結びつきが出来上がってしまっているところながら、そんなこともシチリアの人たちにすれば、うんざりしたりげんなりしたりすることなのかも。新潮新書の一冊『シチリアの奇跡』を読んでいて、シチリア=マフィアというステレオタイプな発想は勘弁してくれということなのだなあと思ったものでありまして。

 

 

シチリアの人たちには迷惑千万なことかもながら、世の中的にはこれまで「マフィアはシチリアの精神性でもあるから」的に語られてきたこともあろうかと。なるほど、『ゴッドファーザー』を思い越しても同じシチリア出身の同族のための相互扶助機能がマフィアに求められた(求めるように仕向けた)側面はあるようにも思えるわけですね。そこに登場するのがいわゆる「みかじめ料」でして、これはもうマフィアに留まらず、日本でも反社会的勢力、いわゆるヤクザと大いに関わって現に存在しているものでもあろうかと。

 

本書では、勇気を奮い起こして「みかじめ料は払いません」と宣言した人たち、これにともなって必要悪とも見えたマフィアを排除することに奮闘する人たちの姿も描かれておりますが、その行為にはマフィアによる報復(何人かは殺害されてしまった…)が生じもしたという。さりながら、運動は少しずつ広がりを見せ、(極めて単純化して話を進めてしまってはおりますが)結果として本書の表紙にある「マフィアからエシカルへ」という流れを作り出してもいるようで。

 

何がエシカルかと申せば、みかじめ料などによって資金豊かなマフィアが抱え込んだ土地を没収することにより、この土地の有効活用として有機農法によりオリーブ栽培やワイン造りが行われているのであるとか。ここにも嫌がらせは付いてくるわけで、「本当のSDGsは、命がけ。」などと本書の帯には冗談のように書かれていることが実際には全くもって冗談にならないことなわけですけれどね。

 

とまれ、こうした活動もあってシチリアにおいて顕在化するマフィアは影を潜めることになりますが、むしろマフィアはより広域化し、かつその存在が見えにくくなっているのでもあるようで。表向き、農業組織と見せておいて、その実、EUの奨励金をせしめつつ、ブランドを偽った粗悪な産物を流して荒稼ぎしていたりもするとなりますと、ともすれば「これ、安いじゃん!」などと購入した食品が実はマフィアへの資金供与にひと役買っていたりすることもあるとは、消費者としては考えどころでありますなあ。

 

と、みかじめ料という点では、つい先ごろに見かけた新聞記事(2023年4月30日付東京新聞)を思い出したのでありますよ。みかじめ料のようなもののことを英語では「protection racket」とも言うようなのですけれど、政治学者の岡野八代・同志社大学教授はこれに「守ってやるぞ詐欺」と言う訳語を与えたそうなのですな。とても分かりやすい一方で、思いを巡らせば「これって、ヤクザに限った話ではないな」と。

 

実際にこれに触れた新聞記事は法政大学前総長の田中優子名誉教授が書いているのですが、そこでも宗教団体(あなたを守ってあげますよ、天国へ行けますよと言って大金をふんだくるとか)に触れてもいましたし。さらに言えば「脅威が想定されるので十分な備えをして守ってあげましょう」と言い出している政府であるとかも。

 

政府に対しては選挙で投票することで権威を与えていることになるわけながら、本欄の締めくくりに曰く「守ってやるぞ詐欺」に引っかからない、唯一の方法は「本を読んで勉強し、情報を集め、熟慮して投票し、意見は常にはっきり表明する」ことであると。本を読む、勉強する、情報に接するといった点では、とかく自らの指向(嗜好)にあったところばかりに目を向けがちとなれば、いくら読んでも勉強しても情報を集めても、一定の殻の中に留まったままになってしまいますので、言わずもがなながらここに求められているのは幅広い知識を求めることではありましょう。ですが、固まってきた個人の考えを翻すに至るのは難しいのですよね。

 

その点、シチリアの人たちは現前したマフィアの脅威から脱却することを、自ら選び取っていったのですな。しかしまあ、脅威が現前する事態に至っては困る…とも思うところながら、「守ってやるぞ詐欺」の付け入る元はそのあたりにもあるのでしょうなあ。