今年2023年は、ラフマニノフの生誕150年にあたるそうですな。オケの演奏会でもピアノ協奏曲の2番、3番、そしてパガニーニの主題による狂詩曲など、特にピアノをフィーチャーした作品は日ごろから取り上げられることの多いラフマニノフですけれど、アニバーサリー・イヤーとあってピアノ無し作品もかなりプログラムにのぼっておるようで。そんな中のひとつ、読響演奏会@東京芸術劇場を聴いてきたのでありますよ。
今回の演奏会は、ラフマニノフの交響曲第2番をメインとして、その前にグリエールのハープ協奏曲が置かれるというプログラミング。ハープの独奏はグザヴィエ・ドゥ。メストレですので、まあ、ダブルA面のコンサートでもありましょうかね。
「ハープの貴公子」と言われて久しいドゥ・メストレも50代になろうかというところ(奇しくも?ラフマニノフ生誕の100年後、1973生まれですな)。2010年にウィーン放送交響楽団の来日公演で初めてその演奏に接したときには、まだ貴公子然たるものがあったと思いますが、時を経てみると「こんなにがっしりしたガタイだったのだぁね」と。アメリカのアニメ映画で描かれる逞しさ溢れる男性体形、例えば『インクレディブル・ファミリー』に出てくるお父さんのような感じになってましたなあ(些か誇張ありですが)。
とかくハープといえば、うら若き乙女が優雅に奏でる…といったステレオタイプな印象が付きまといますが、ハープ作品の曲調はそれ一辺倒ではないわけで、折々の力技的なる部分を弾ききるあたり、見事なものでありましたよ。
で、もう一方のラフマニノフですけれど、久しぶりに(といってももっぱらCDで聴いていて、生演奏で聴くのは初めてかも)聴いた交響曲第2番は実に実にたっぷりした曲でありましたなあ。取り分け第3楽章のメロディーはエリック・カルメンの「恋にノータッチ(Never Gonna Fall in Love Again)」に使われて(原曲以上に知られて)いますように、ロマンティックな、メランコリックな、いかにもラフマニノフらしい雰囲気が濃厚に漂っているのところを満喫できる作品であろうかと。こんな言い方も何ですが、1873生まれのラフマニノフ、遅れてきたロマン派であるなあとしみじみ思ったものでありますよ。
ところで今回のプログラムですけれど、ラフマニノフがロシアの作曲家である、というのはそれはそれとして、もう一人のグリエールはウクライナの出身でしたなあ。昨年来、ウクライナとロシアを並べて云々しにくいようになっているわけで、指揮をした尾高忠明も終演後のひと言として(この2曲を並べたことを)「ついうっかり…」てなふうに言ってましたなあ。でも、並べて演奏することが悪いわけでもなんでもなくって、むしろそうした機会もつかまえて、両国の、本来ならば兄弟のようなところ(それだけに仲が悪くなると始末に負えない?)を気に掛けるようであってもいいのではなかろうかと。
例えばですが、今回公演のプログラムに「現在のウクライナに生まれた」「ロシアの作曲家」とグリエールを紹介しているあたり、少々の考えどころかもしれませんですね。おそらくは昨年にロシアがウクライナに侵攻を始める前であれば、およそこの記載に「ん?!」ということも無かったのでしょうし、似て非なるケースとは思うも、オスカー・ワイルドをして「アイルランドに生まれた」「イギリスの作家」と紹介するようなこともありますし。
取り分け、グリエールの場合は(Wikipediaに曰く)「父親はドイツ人の楽器職人で、母親はピアノをよくしたポーランド人」てなことになってきますと、事情はより複雑な気もしますですね。ただこのあたり、日本国内で日本人の両親から生まれた者には及びもつかないことかもしれません。
言うまでもなく日本は国籍の決定にあたり血統主義を採っているところながら、アメリカのように出生地主義を採っている国もありますですね。これによれば、アメリカ国内で日本人の両親から生まれた子供は、血統主義による日本国籍と出生地主義によるアメリカ国籍が同時に与えられて二重国籍が生じることになりますし、日本国内でアメリカ人の両親から生まれた子供はどちらの国籍も得られない無国籍の状態が生ずるのですよね。国籍ってのはいったい?と思ったりもしますですが、国籍なるものがその国への帰属意識を涵養して、「国」に都合よく働かせることができたりもする面はあるわけですが…。
もっとも都合よく使われてしまうのは戦争のときでしょうかね。第二次世界大戦時、日系アメリカ人は敵性国民であるしてキャンプに収容されますが、その中には星条旗(要するにアメリカ合衆国)への忠誠を明確に示さんがため、敢えて志願して取り分け過酷な戦線へと投入されていったことは、かつて見たドキュメンタリー映画『442』に描かれていましたですなあ。
そもそもは、そこに暮らし人たちがより良い生活を送れるようにする方便が「国」でしょうから、人々あっての国が歴史の中でだんだんと国あっての人々と転換してしまったのは、実におかしなことで、改めてるに如くはなしなはずなのでしょうでけれどねえ。
おっと気付いてみれば、すっかり演奏会の話から遠ざかってしまいました。まあ、これも思い巡らしの結果であるということで。付けたしのようながら、いい演奏会だったのですけれど(笑)。