群馬県高崎市の北方、保渡田古墳群の解説と出土品の展示とがあるものと思しき「かみつけの里博物館」にやってまいりました。もちろん古墳そのものも見て周るわけですが、まずは情報収集ということで博物館へ。

 

 

近くにある二子山古墳や八幡塚古墳のこと、そしてその古墳を築いた上毛野の豪族たちに関しては、常設展示として展示解説されていることはもちろんながら、「わくわく!はにわ体験’23」なる企画展も開催中で、折しも先日には『埴輪 古代の証言者たち』なる一冊を読んだばかりでしたので、まずはふらりとこちらの方へ足を向けてしまい…。

 

 

企画展タイトルからしても、多分に子ども向けを意識しているとは思われるところながら、先の本の内容を反芻するにはうってつけのようす。何せ、本と展示の構成が似ているようでもあるのは、かの本の著者は大学教授というのが現在の肩書ながら、かつては高崎市教育委員会文化財保護課課長でもあったとなれば、この博物館とは浅からぬ関係がありそうですしね。ともあれ、展示室の中のようすを見ていくことにいたしましょう。

 

 

展示は埴輪の発展過程をたどるように解説が施されておりまして、まずは埴輪の原型というべき円筒埴輪からになります。この基本型はずらりと古墳の形に添って外周部に並び巡らされているのですから、基本が大事ということになりましょうね。

 

 

「弥生時代のお供え壺を置く台から変化してきました」と解説にありまして、発端は吉備地方(岡山県)にあるとのこと。古代において、吉備国がいかに勢力があり、中央に対しても影響力があったかを偲ばせるところではなかろうかと。お供えもの用としては一番左の大きなものが最も名残りをとどめているようですな。

 

ちなみに、博物館お隣の二子山古墳で出土したこの円筒埴輪もなかなか大きい(約110cm)ですが、日本でいちばん大きな円筒埴輪は奈良県桜井市にあるメスリ山古墳から出たものと。およそ240cmとは、ヒトの背丈を超えてずいぶんと大きなものを造ったものです。これも古墳を目立たせる材料なのですなあ。

 

ともあれ単純素朴な円筒埴輪(といっても、それぞれにある突帯や穴の形状などに意匠を凝らしてますが)に続いては、形象埴輪、すなわち「何かの形をかたどった埴輪」が登場してきます。人物像の登場はまだ先でして、「4世紀中ごろに、最初に登場した形象埴輪は、家形の埴輪、盾など武器の埴輪、身分の高い人にさしかける傘(キヌガサ)の埴輪など」であるとか。

 

 

左は形からして「家形埴輪」と分かりますですね。簡略化されたものからリアルなものまでさまざまあるそうでして、ものによっては古墳時代の遺跡(住居跡とか)を再現するのに、埴輪が参考になったりもするようです。で、右側ですが、見た目は紙人形を象った?とも思えるところながら、武具の「靫(ゆぎ)」を表す埴輪であると。なるほど、頭の部分をよおく見れば、確かに矢をたくさん入れているようすが線描されていましたですよ。

 

 

形象埴輪の中には動物を象ったものも多々ありますですが、比較的早くから現れたのは鳥の形であったようですね。年表で見る限り、単純な形から複雑なものへという軌跡ではない、例えば蓋(きぬがさ)形などはかなり作り込んでありますので、鳥の形が作りやすかったということではないのでしょう。

 

 

水鳥を象ったものは鳥という以上に「水」が大事(稲作には重要ですな)なこととの関わりがある一方で、食料確保の手段としてこんな形で埴輪が残されることもあったのですな。曰く「魚をくわえる鵜の埴輪」と。

 

 

でもって、遅れて登場する人物埴輪。5世紀に入ってからだんだんと増えてくるのであるとか。「そも人物埴輪は家来を生き埋めにする身代わりだった…」てな話が『日本書紀』にあるとしても、古墳からは「家来を埋めたあとはみつかっていません」と解説にあったように、被葬者の勢力をあらゆる面で示す術として人物像は造られることになったのではなかろうかと。『日本書記』の記述は、解説に曰く「埴輪の意味が忘れられた後に作られた伝説と考えられるようになってい」るようですが、ある意味、古代の大王が絶大な権力を持っていたことを脚色せんがための記述のような気もしますですねえ。

 

 

ところでなんとはなし、埴輪の造形は「かわいい」印象を受けたりするところですけれど、今回展示の中で「萌える」埴輪を二つほど。いずれも動物埴輪になりますが、続けてどうぞ。

 

 

 

上は鹿を象った(珍しい?)もので、ぽっこり丸く穿たれた目の部分に素朴さを感じるのでありましょうか。下は人の腕に鳥が乗っているところですが、最初は「鷹匠か?」と思ったりするも、足元は水かき状ですのでやっぱり水鳥なのでしょうねえ。を真に受けられないことになりますですね。

 

『日本書記』ではありませんが、埴輪本来の制作意図が不明になった結果として、その意味するところとは全く異なるかもしれませんが、現代人に癒しのようなものを与えてくれたりもする埴輪。なかなかに和みのひとときにもなったりしたものです。ということところで、常設展示の方を見に行くといたしましょういね。