川崎のホールで、サクソフォン四重奏を聴いてきたのでありますよ。芸大同窓の女性四人によるルミエ・サクソフォン・カルテットの演奏、こう言ってはなんですが、サクソフォンの真価にようやっと気付かされたのでありました。中高大と吹奏楽をやっていて、すぐそばでは常にサックスの音があったにも関わらず…。
少人数アンサンブルではその人数に応じて〇重奏と言われるわけですが、例えばピアノ五重奏と言った場合には一般にピアノが5台並ぶわけではありませんですね(意表をついて5台のピアノを並べる演奏会なぞはあるかもしれませんが)。たいてい、ピアノ1台とその他の楽器の奏者4人のアンサンブルで、ピアノ五重奏と称す。クラリネット五重奏やフルート四重奏(いずれもモーツァルトの曲が有名ですなあ)についてもまたしかりです。
まあ、オーケストラが最たるものとは思いますが、さまざまな音色、音質の楽器を複合させることによって曲の醍醐味を引き出そうとすることはあるわけですね。で、それの小規模バージョンがかかるアンサンブルということになろうかと思いますけれど、一方で同族楽器ばかりで固めた、均質な音で勝負するという形もありますですね。例えば弦楽四重奏のような。
サクソフォン四重奏はソプラノ、アルト、テナー、バリトンと音高に違いのある4つの楽器が全てサクソフォンであるという点で、弦楽四重奏にも擬えることができるかもですけれど、その音色の均一感はなんとも心地よいものでありましたよ。要するに、異種格闘技的なものが混じりませんので、変に尖って飛び出す「飛び道具」が無い安心感とでもいいましょうか。
そんなことから改めて思うところは、サクソフォンの発明者であるアドルフ・サックスはよくまあ、この楽器を作り出してくれたものだということですな。Wikipediaを覗いてみますと、「サクソフォーンの基となる発明の特許は1838年に取得されていたが、楽器についての特許が取得されたのは1846年のこと」といった紹介を目にしたのでして、楽器誕生から未だ100年も経っていない。サクソフォンはかくも「新しい」楽器だったわけです。
さりながら、クラシカルな世界ではラヴェルを始め、フランス音楽の作曲家たちがいち早くこれを取り入れていますし、も少しあとにはジャズの世界で大活躍することになりますですね。これでもって、一気に愛好家が増える楽器にもなったものと思われます。ジャズ・クラリネットのプレイヤーとして知られるベニー・グッドマン(1909年生まれ)ももう少し遅く生まれていたら、手にとっていたのはクラリネットでなくして、サクソフォンだったかもしれんなあと思ったりもしたものです。何しろ、クラリネット以上のパワープレイもできると同時に、今回の演奏会でも聴かれたような非常な繊細さを表すこともできるのですものね。
今回の奏者たちはいずれも芸大出身ということですけれど、誕生して100年に満たない楽器が芸大で教え、教えられているというのは、よおく考えるとかなり画期的なことなのかも。おそらく芸大にテルミン専攻などは無いでしょうし、それだけにアドルフ・サックスに「よくまあ…」と。
同族楽器のアンサンブルで「飛び道具」が無いとは先に触れましたですが、サックスが単体でオケで用いられるとき、サックス自体が飛び道具的に使われるほどに個性が立っているわけで、クラシック音楽においてサックスは飛び道具と思ったり、はたまたジャズでの大活躍からそちら方面でこその楽器と思ったりしてきたところながら、今回、サクソフォン四重奏の均質感あるアンサンブルに接して、認識を大いに改めたものでありました。ソロでフィーチャーされるよりは音楽としての心地よさはアンサンブルが格段上に思ったりしたものでありますよ(個人の意見です、笑)。
ということで、この心地よさは「Lumie Saxophone Quartet Official Web」の「Intorduction」にある動画サイトでお試しを。演奏会のアンコールで演奏されたプラネルのバーレスクはとても楽しい曲。ただ、ミューザ川崎のホールトーンの中で聴いたところに適うものではないのですけれど、とりあえず。
…というところで、またまた月例行事、父親の通院介助で両親のところへ出かけてまいりますので明日(4/20)はお休みを頂戴いたします。先週患っていた季節性インフルエンザも、その前のコロナ罹患もいずれもひたすらに自宅療養で復帰したわけですが、自分の傷病ではない用でもって病院に行くというのも妙なものですな。度重なると、自分が普段かかるであろう病院よりも受付から支払いまでの段取りをすっかり把握しているというのは、どうなんでしょうねえ(笑)。ともあれ、また明後日(4/21)にお目にかかりたく。ではでは。