やっぱり、コロナ再びってことではなかったようですなあ。なにせ重篤度が全く違いますし、体ん中にウィルスが残ってるなあという感覚(個人的な印象です)がおよそ後を引くことなく、至って短期決戦の様相でしたし。季節性インフルエンザでも侮れないケースはあるのでしょうけれど、新型コロナに比べれば物の数ではない…とまあ、そんなW罹患者の印象です。
一時はそれこそ死んだように眠り続けることがあるも、すでに起き出してなんつうことなく過ごしておりますが、そうはいっても発熱後5日かつ下熱後2日は外出を控える(登校・出勤不可)とのことですので、おとなしくしておりますよ。うっかりぶり返してもなんですしねえ。
と、そんな中で時の過ごしようといえば、(病室にいる入院患者でもないのですが)ぼんやりとVでも見るかと…。ちょうど今月初め、山梨に短期滞在した頃のを含めてTV番組の録画が溜まっていたりするものですから、はかすのにちょうどいいところでして。で、そんな種々雑多なストックの中から、Eテレ『ドキュランドへようこそ』の「“執事”の学校 〜超一流のサービスを〜」という一本を見てみたところ、インフルエンザの症状や治り具合に個人差があるように…とは適当な例えではありませんですが、人の考え方にはいろいろあるものだと思ったものでありますよ。
まずもって「執事」という職業でイメージするのは、アガサ・クリスティーあたりのミステリで由緒ある貴族の御屋敷の一切を仕切って、ともすると家の主以上にその家名に対する愛着(執着?)がありそうな老僕といったところでしょうか。ところが、この「執事」なる職業、「安定して高収入が得られる職業として欧州で人気」(番組HPより)なのであるそうな。なんとなれば、「近年は上流階級に憧れる新興富裕層や上質なサービスを求める客層に対応したい高級ホテルからの需要が高まっている」というのですなあ。
上流階級はもとより、それに憧れる新興富裕層に至っては、ともすると「鼻持ちならない」という形容詞を思い浮かべてしまうような所業が想像されてしまい、「お客様にはNOと言わない」てなことが映画『マスカレード・ホテル』でも言われていたような気がしますけれど、笑顔を絶やさずわがままに応じることを選んで職業にするかなあと。
その点、若い時分に十数年ほど旅行業に携わったことのある者が言えたものはありませんですが、確かに手掛けた旅が顧客のニーズやウォンツに適い、感謝されたりすればやりがいもあったとは思うところながら、結果として「旅は自分でするものだ」的結論に至って現在があるところも、そんな物思いに繋がったような気がしておりますよ。
ま、個人的な思いはともあれ、番組ではこの「執事」と言う職を求めて養成所で訓練を受け、各所へインターンとして派遣される人たちの姿を追っているわけですね。各所というのは、それこそ「執事」と言う言葉のイメージどおりに旧家の邸宅に入る者もいれば、いわゆる超高級ホテルのゲストリレーション(担当顧客の滞在期間中は専属として、いわばテンポラリーな執事でもありましょうか)に携わる者もいるようで。ただ、この両者に共通するベースはあるにせよ、ありようは随分と異なるのではと思ったりするところですけれどね。
ともあれ、見ていて思うのは、単に労働対価を得るための職業のひとつではあるにせよ、厳然とある社会格差は何かと批判の対象となりながら、その一方で「格差」前提の職業があって、かつそれが人気である。さらにはそれが何かと第三世界の人権意識等に疑義を呈する欧米諸国でのこととなりますと、いったいどう受け止めたらいいのやら…と。
ま、個人的には典型的庶民で、あまりにもかゆいところに手を届かせてくれてしまうようなサービスは、むしろ居心地悪くなるような性分だから、こんなふうに思うのでもありましょう。それこそ、人によっては「ああ、そこ、痒かったんだよね、何も言わないのによく分かったねえ」と喜ぶ人もおれば、そうしたサービスを尽くすことで仕事の達成感を得る方もまたいることでしょう。でも、社会階層の格差といったものがなくならないのは、ヒトの心性上、致し方ないのであるか?…てなことも考えてしまった次第でありました。