常々、「資本主義」なるものはもはや制度疲労を起こしているのでは…てなことをつぶやいたりしておりますが、これはあまりに資本主義をざっくりと捉えてもいたようで。なんとなれば、資本主義のありようはまだこれからも変化しうるものであるようですな。必ずしも資本主義=成長至上と捉えるのは見方が狭かったということになりましょうか。そんなわけで、新しい資本主義のありよう、それを垣間見せてくれるのが『100均資本主義 脱成長社会「幸せな暮らし」のつかみ方』という一冊でありましたよ。

 

 

本書タイトルに見る新たな資本主義のありよう、それを「100均資本主義」と名付けているのは、ひとえにキャッチ―さの故でありましょうか。確かに本書の最初の方で言及されているように、低成長の時代にあって100円ショップはビジネスモデルとしてうまく回っているようでありますね。あまり利用しない者にはピンと来ないところながら、100円ショップは商品開発能力に非常に長けており、それこそ毎日のように新商品が投入されていて、消費者にとっては立ち寄るたびに目新しいものに出くわせるわくわく感があるということで。

 

100円ショップはその名のとおりに薄利多売構造ながら、経費を削ることにも長けているそうな。となると、従業員を安く使い倒しているのでは?などと勘ぐってしまうものの、値決めもいらない、値札貼りもいらない、ポップもい倣い…となりますと、およそ業務はマニュアルを逸脱することがないので、パートやアルバイトの非正規社員で十二分に賄えてしまい、抱える正社員比率が極めて低いのだとか。ともすると、アルバイトに正社員まがいの仕事をさせる企業というわけではないということで。

 

また、同じ小売りでいえばスーパーなどが毎週のように新聞折込を入れて、広告宣伝費がかなりかかるところが、100円ショップは元から(基本的には)100円均一なので広告にかかる経費が無い。一方で、先にも触れた商品開発が目新しいとメディアからの取材があったりして、勝手に宣伝してくれていることにもなっているというのですなあ。

 

と、100均ビジネスを詳細に説明しているあたりを読んでいる限りは、確かに昨今のビジネスの成功事例なのだろうとは思えて、それをもって新しい資本主義の看板にするとは大げさに過ぎはしないかとも思ったり。が、半分から先を読み進むとそこにはもう100均の「ひ」の字も出てこなくなのですなあ。100円ショップの安価な品々と手にして、それを店側の考え通りであるか、あるいは自分なりの使いようを考え出すか、そんな使い方にも楽しみを見出すライフスタイルといいますか、そうした心持ちはとてもかつての資本主義を支えて来たたくさん稼いで高価な品物を手に入れてという欲望とは、ずいぶん違ったものになっているではないかと、いうわけなのですな。無理して生活をぎすぎすさせなくても、手近なところで楽しみ、幸福感、満足感を得ることができると。

 

考え方がそんなふうにシフトしてきたとなると、相変わらず国として、経済規模は大きくなくてはならん、成長路線を歩まねばならんという方向性は、もはや大きなお世話だったりもすることになろうかと。かねて少子化が問題視されてきているのは、とにもかくにも労働人口が減少してしまう、つまりは経済規模が小さくなってしまうというところから来ているとは思っていたことですが、本書の中にもこんな一節が出てきますな。

日本政府が人口減少を問題視するのは、労働力不足が経済成長の足かせになると考えているからだ。人口が減れば、現在の経済規模が維持できないから困るというだけの話だ。

予て考えていたことと、あまりにおんなじなので反って驚いてしまうほどでありますよ。人口が減れば経済規模の総体は小さくなるも、ひとりひとりの生活規模が変わらないのではあれば、それで何がいけんのよ、てなものですね。

 

かつてはせっせとお金を稼いで、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、クーラー、車…と買いたいものがあった(あるように思い込まされてきた)時代からかなりの時を経て、さまざまなモノは必ずしも自己所有という形でなくていいと考えたり、100円ショップという元々安い店で買った品物を、それ以上に使い途を工夫することにこそ楽しみを見出したりするようになってきたりするご時世、制度疲労を起こしているのは相変わらず「日本は大国でなくてはいえん」といった政治家の発想の方なのかもしれませんですねえ。