映画を見ては毎度毎度のように原題と邦題の違いに言及したりしておりますが、『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』とはまた、ずいぶんと作り込んだものですなあ。原題は「Interlude in Prague」で、「プラハの間奏」、というよりは「プラハの幕間」とでも捉えたらいいでしょうかね。
ウィーンではなかなか認めてもらえない一方、プラハでは大人気を博していたモーツァルトの音楽。プラハの聴衆(とっても、社交界を構成する人たちですが)は費用を出し合ってモーツァルトをプラハに招聘し、かの名曲(プラハではですな)『フィガロの結婚』を作曲者本人の指揮で聴きたいとなるわけです。顎足つきの求めであり、なおかつ出向けば人気者扱いが待っているとなれば、出向かぬはずもないモーツァルトであったのですなあ。
このとき、『フィガロ』に次ぐ新しいオペラを是非プラハで初演してほしいとも望まれており、作曲途中であった『ドン・ジョヴァンニ』の楽譜を手にして出かけたという。やはり音楽家である友人夫妻の邸宅を宿に、オペラ完成を急ぐわけですが、映画ではここに思わぬミューズ、恋のお相手が登場することになるのですな。新進のソプラノ歌手スザンナ・ルプタック嬢がその人…なんですが、ここが思い切りフィクションですな。
何せ、プラハで初演が迫る中『ドン・ジョヴァンニ』の完成に尻を叩いていたのは妻のコンスタンツェであったと伝わるようですから、よもや細君帯同で出かけた先でこれはないでしょうと。そんなことではモーツァルト自身がドン・ジョヴァンニであるか?ともなってしまいましょうから。ではありますが、ここではもちろんこれもフィクションの配材としてサロカ男爵という好色な貴族が出てくる。スザンナ嬢にも魔の手(どころか死の手)が及ぶに至って、モーツァルトは嘆きの激情を終幕のドン・ジョヴァンニ地獄落ちに込めたのではなかろうか…と思わせるお話でありましたよ。
と、映画自体の出来は「???」でもありますけれど、それにしてもモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』というオペラはどうにも受け止めようが難しい作品のように思えるのでありますなあ。この作品を「ドラマ・ジョコーソ」(諧謔劇てな意味だそうで)と呼んだらしいのですけれど、当時広く使われて『フィガロの結婚』もそのひとつにあたる「オペラ・ブッファ」(要するに喜劇のオペラですな)とはしていない。そのあたりにも、何やらモーツァルトの思惑はありそうです。
確かに恋の駆け引き、すれ違いなどはドタバタにつながるところであって、音楽としても恋のメロディーあり、はたまたレポレロの「カタログの歌」などのようにいかにも喜劇的なものありではあるのですけれど、序曲に始まる全体のトーンには結構深刻な要素が散りばめられているように思うところです。そこに、モーツァルトのサービス精神でもあるのか、プラハの聴衆がにやりとするようなことまで盛り込んでいるのですから、個人的にはこのちぐはぐさに付いていきにくいとも。
何しろ主人公のドン・ジョヴァンニはただの女たらしというにとどまらず、のっけからドンナ・アンナの父親殺害に及ぶ人物となれば、笑ってばかりもおられまいと。この辺が先の映画のサロカ男爵像に結びついてくるのでしょうけれどね。
ところで、プラハの聴衆をにやりとさせるという点ですけれど、終盤近くにドン・ジョヴァンニが設けた宴席のBGMとして御付きの楽団がまさにその当時流行していたメロディーを3曲ほど奏でる中、モーツァルト自身の『フィガロの結婚』からも『もう飛ぶまいぞ、この蝶々』を持ってきているわけで。プラハでは本当に『フィガロ』が大人気であって、貴族の館の使用人までが『フィガロ』を鼻歌で歌っていたとか、そんな話が映画でも挿入されておりましたな。
残りの2曲は、ビセンテ・マルティーン・イ・ソレル作曲の『ウナ・コーザ・ラーラ』からとジュゼッペ・サルティ作曲の『漁夫の利』から持ってきたメロディーであるそうな。『フィガロ』と並べて3曲が選ばれているわけですが、当時ウィーンではモーツァルト以上にソレルやサルティの方が人気を博しており、両者にあやかりたい、あるいは本人としては彼らと並べて全く遜色がない(あるいはそれ以上)と自負していたのかもしれませんですね。
ともかれ後世になってみれば、「ソレル?誰?サルティ?誰?」という状況でもあるのにモーツァルトは大作曲家として確固たる位置を占めているわけで、なんとも不思議なものでありますなあ。その大作曲家性(?)の一端には、『ドン・ジョヴァンニ』が描き出す、喜劇のようなそうでないような、一筋縄ではいなかい難しさを持った作品の存在も一助になっているかも…とは、全く個人的に思うところなのですけれど。
さて、だいぶ春らしくなってきたところで、長らくほったらかしにしてしまっていた山梨・小淵沢のアパートのようすを窺いに出向いてまいります。年末年始のコロナ罹患以来、冬の間に一度も出かけておりませんでしたので、ちとこの辺で。むこうの住環境として、日常生活に事欠かないだけの調えはしてありますので、むこうにいながらにしてブログ更新のできそうですが、念のため書けそうなら書きますとだけ。結果、しばしお休みすることになるもしれませんが、そのときはそのときでどうぞよしなにお願い申し上げます。