1962年、キューバにミサイル基地を建設し、核弾頭を配備しようとしていたソ連と、その目論見を察知したアメリカとの間で対立が尖鋭化したことから、世界は核戦争前夜のような緊張状態に陥りましたですね。いわゆる「キューバ危機」というやつで。

 

これを歴史的事実として受け止めるばかりの年代にとって、時が過ぎ去った今となればなおのこと、そのときに世界を包んだ緊張感は想像するしかないわけですが(かといって昨年来の新たな(?)東西緊張も相当に危ういものながら、世界中への直接的な影響度はおそらくキューバ危機のリアリティーには比ぶべくもないような)、当時はロンドンあたりでも四分警報なんつうものが周知されて、「この警報が知らされたら、4分後には核ミサイルが飛んでくるので、直ちに核シェルターなどへ避難してください」という意味合いであったと。

 

冷戦と言われた状況下で核軍拡競争がヒートアップするどころか、それが実際に使用される可能性が人々の間に肌感覚で感じられていたのが、1960年代初頭の状況であったかと改めて。そして、結果的には事無きに至るこの「キューバ危機」は、もっぱら米国vs.ソ連、ひいてはケネディvs.フルシチョフという構図でばかり歴史に記録(記憶)されていきますけれど、その舞台裏では現実に諜報戦が展開されていたのですなあ。当時の世相ともども、そうしたあたりに気付きを与えてくれたのが、映画『クーリエ:最高機密の運び屋』でありましたよ。

 

 

CIAとMI6ではソ連内部にいる情報提供者ペンコフスキーとの間をつなぐ連絡役が求められていたところ、白羽の矢が立ったのは何と完全な民間人であったのですな。確かにただただ東欧との間を行き来してきたセールスマンのウィン(カンバーバッチも歳を重ねたものですなあ)には、怪しげな裏も表もあるはずが無いわけで、疑われるリスクが低かろうという判断に間違いは無いでしょう。「ただの運び屋だから」と情報部は口説きますけれど、「ただの…」となれば要するに捨て駒にもなり得るのだろうなあと。

 

最初は「家族大事」として断るウィンですけれど、その家族のことを思えば国の安全を守ってこそ、そんなふうに掻き口説くわけですね。「世界平和のために何ができるか」てな話はあまりに大所高所に過ぎますですが、国や体制といった枠組みの保持が個々人の安寧につながるというトップダウン的な考えがあるものの、その実、ウィンならずともそれぞれ個々人、家族、近しい周辺の平穏があることが相対的に平和と言えると、ボトムアップ的な見方もまた成り立つような気がするところです。どこかしらに「国ありき」といった固定観念があって、これの呪縛が解けていない点は、現代もまた同様でありましょうか。

 

結局のところ、運び屋の仕事を引き受けたウィンがペンコフスキーと個人的な信頼関係を深めていくことになりまして(ペンコフスキーにとってはウィンが単なる民間人であることに安心感を得て、異国の友人とも思えたのでありましょう)、お互いに家族を紹介したり、「政治がどうであろうと、我々は友人である」ことを言葉にしたりもするのですな。二人が加担しているのは国家や体制の安全保障なのですけれど、二人の間で語られることはボトムアップ型平和の表れにも思えるところではないでしょうか。

 

ペンコフスキーがもたらし、ウィンが持ち帰った情報によって、英米はキューバでの不穏な動きに目を向けることに。結果、アメリカはミサイル配備の途上でソ連に警告を発し、喉元に核弾頭が突きつけられることを回避できたわけですが、ペンコフスキーもウィンもKGBに拘束されてしまうという事態に。要職にあっただけにペンコフスキーは処刑されてしまいますけれど、ウィンは長らく過酷な拘禁に遭った後、英国へと帰国を果たすことになる…のですが、これがまた実話ベースの話であったわけで。

 

ショーン・コネリーを主役に「007」シリーズの第1作が英国で公開されたのは、まさにキューバ危機の時期なのですよね。お色気、ギャンブル、高級車…とスパイの世界を(常に死と隣り合わせてはいるものの)煌びやかなものとして描き出した映画は、核ミサイルがいつ飛んでくるかも分からないという不穏な日常を送る人たちにとっての捌け口、現実逃避の手段でもあったでしょうか。ただ、実話として最高機密の運び屋を演じたのは一介の民間人であったのですけれどね。

 

ともあれ、「007」シリーズの第2作はウィンが拘束されている最中(英国での公開は1963年)に作られていたわけですが、そのタイトルが「ロシアより愛をこめて」とは…。ボンド映画の見方が、この後は少々変わるような気がしたりもしているところです。