群馬県安中市にあります碓氷峠鉄道文化むらを訪ねて、たくさんの車両が並んだ屋外展示場へとやってまいりました。鉄分多めの方々は大いに盛り上がるところではなかろうかと思うところです。実際に、当日は数少ない入場者の中で運転席部分をのぞき込んでいたおじさんが「これを見なきゃあなあ!」などと大きな声で同行者(さほど関心があるでもなさそうな…)に語っているのが聞こえたりしましたですよ(笑)。

 

 

まあ、この手の展示は先に訪ねた埼玉県・大宮の鉄道博物館でも見られるわけですが、ここの特徴は屋外展示であることと、横川運転区の特質上、機関車が多いということになりましょうか。鉄道好きの中でも、取り分け機関車大好きなんつう人もおられるのでしょうなあ。個人的には(何度も弁明するようですが)さほどに鉄分濃厚ではないので、どちらかというと昔の思い出と結びつけて「おお、懐かしい!」なんつう感覚になることがお楽しみのようなものでしょうかね。例えばこのような。

 

 

懐かしい云々と言いながら、実のところ日本ではSLに乗ったことがないのですよね。「日本で…」と申しましたのは、もうずいぶんと前ですが、オーストリアのチロル地方で一度だけ乗ったことがあるものですから。昔ながらのさほど大きくない蒸気機関車が、しかもラックレールでもって客車を押し上げていくアッヘンゼー・バーン。山上にはアッヘン湖(Achensee)の湖面が広がる風光明媚なところながら、訪ねた時は夏とは思えぬ寒さに震えあがり、そそくさと下りの列車に乗り込んで…とは、碓氷峠鉄道文化むらとは関わらぬ話でありました(笑)。

 

ともあれ、SLに懐かしさを感じるというのは、かつて確かにSLブームがあったのですよね。各線でどんどんと廃止されていく中、もはや風前の灯となってきていた蒸気機関車の雄姿を乗って、眺めて、写真に撮って…ということが人気を博したという。さらに加えて、SLの音を録音することもまたブームのひとつであったような。

 

折しも屋外で、しかもいい音で録音したいという時に、ソニーが従来のオープンリールの録音機に加え、カセット形式の屋外対応ヘビーデューティーをも指向した録音機を発売したのですなあ。時に1970年、「カセットデンスケ」の名前でもって。初号機では無かったですが、買ってしまい(親に買ってもらってしまい)ましたなあ。TC-2850SDと、型番まで覚えておりますよ…といって、SLの生録に出かけはしませんでしたが…。

 

 

という余談はさておき車両のお話ですが、またまた懐かしさを誘うのが左端に見えている特急のカラーリングでしょうか。「あったよなあ、こういう色の時期」と思ったものです。ヘッドマークには「あさま」とあって、新幹線開通以前には横川駅を通る信越本線で主に上野と長野を結ぶ主力であったような。とはいえ、この特急も先に鉄道展示館の上屋内で見たEF63形電気機関車に手助けされて碓氷峠を越えていったわけですな。

 

 

ひと頃の国鉄では「L特急」と言い方(愛称?)が使われていたことがありまして、まさにその時期を思い出されるカラーリングかと。これのヘッドマークが「白山」と変わりますと金沢までを結ぶ長距離路線となって、金沢までは6時間以上かかっていたのではなかろうかと。大学4年の夏、部活の合宿で富山県に行っており、途中で就職面接の連絡があり(自宅の母親から合宿先に電話があったのですな。何せ携帯電話など影も形も無い頃で)、富山県の高岡から東京まで特急「白山」で日帰りしたことが思い出されます。

 

金沢発ほどに時間はかからないにせよ、車中であれこれ考える時間はたくさんあったことで、結局のところこの会社(製品がどこのスーパーにも並ぶ某食品メーカー)に行くことはありませんでした。もしも、これが今現在の北陸新幹線のように東京・新高岡間が3時間も掛からない状況だったら、就職先が変わって、つまりは人生も変わっていたかもしれませんですなあ。

 

 

ちなみにこちらも車両としたは上と同じクハ189形という電車特急ですが、カラーリングが異なってもそっと昔のものでしょうかね。東海道新幹線開業前に東海道線を走っていた特急「こだま」(黒沢明の映画『天国と地獄』で身代金受け渡しに使われるのでイメージしやすいかもと、例に挙げましたが…)を彷彿させる模様ですので、昔のものであろうと想像するところでして。

 

と、碓氷峠鉄道文化むらの屋外展示場にはたくさんの車両が展示されて…と言いながら、ついつい思い出話に終始して長くなってしまいました。これも偏に、そも鉄分の薄さ故とは思うところながら、次にはも少し冷静になって?屋外展示の車両の数々に触れて行こうと考えておる所存でございます。