幕末のいっとき、「ええじゃないか」というムーブメントというか、狂乱の一幕が日本のあちらこちらで展開したということは、歴史的知識として知ってはいるものの、幕末維新史が語られる中ではあまりクローズアップされないで来たのではないですかね。キーワードは「世直し」ということで、時代の厭世観といいますか、そんなものが民衆の中にあって、煽り煽られるままに火が付いた一瞬であったのかもしれませんですなあ。そんな話をしますのも、たまたまにもせよ谷津矢車の小説『ええじゃないか』を読んだものですから。

 

 

「ええじゃないか」の何故は今でもはっきりしないわけで、討幕派の策謀であったてな話もあるようですけれど、小説家としてはその分からない部分に「こうだったのかも(ありえないとしても)」というフィクションを盛り込んでみたくなるのは分からないところでもありませんですな。さりながら、読み終えて思うところ、作者としては幕末にあった「ええじゃないか」を描きたかったのではないのではなかろうかなとも。それは、三河に始まり京に至る物語の中、「幕間」として差し挟まれた作者の独り言に現れてもいるような気がするところです。

 

徳川将軍家の威光はすっかり翳りを見せている。一方で、お上の動向とは関わりなく庶民の日々の暮らしは厳しいものがあるわけで、頼むに足るはどこにいるとばかり、やり場のなさをええじゃないかの乱舞に寄せたのでしょうけれど、時代の混沌状況が全く同じとは言わないものの、今も昔もではあろうかと。ただ、「ええじゃないか」のようなストレートな形での感情表出はおそらく今の時代には馴染まないことなのかもしれませんですね。なんとなれば、「江戸時代の人じゃないんだから」と、近代人になっているてな意識があったりもするわけで。

 

政治参画の形としても、江戸期の庶民とは大きく異なって、普通選挙に基づく議会制民主主義で事は動いており、多数決の結果による排除はあるとしても、一応は民主主義であるわけだし」という受け止め方があるでしょうしね。ただ形は形として、幕末に外患への対応に目を奪われて海防などに注力するあまり、庶民の暮らしが顧みられることなくなってしまっていた。お上たるもの、民の救恤に力を尽くしてこその存在であるとの意識が飛んでしまっていたのでしょう。「民あって国がある」にも関わらず、「国あってこそ民がある」かのような上から目線に終始してしまっているのは、今もまさにと思ったりするところです。

 

ただ、そうは言っても、ヒトの中には今でも祭の狂乱にのめり込む素地が失われてはいない。良し悪しではありませんけれど、時に死人が出ても不思議ではないような「荒ぶる」祭が実際に行われていたりもするわけですしね。決して「荒ぶる」行為に向かうことを良しとするものではありませんけれど、あんまり庶民(という群集)を軽く見ていると、為政者は思わぬしっぺ返しを食らうことになるのかも。もちろん、そうした方向を望んだり考えたりするのではないですが、どうも為政者の側に立つと「歴史に学ぶ」どころか、直近の歴史さえ忘れることを得意とするようになってしまうようですのでね…。

 

と、話はすっかり大仰になってしまいましたですが、実状のよく分からない「ええじゃないか」はもしかしてこんなことだったのではないか…、そのあたりを面白くフィクションに仕立ててあったお話であったなと思いましたですよ。