先に焼津小泉八雲記念館は市の文化センターなどが入る大きな建物の一角にあると申しましたですが、同じ建物には焼津市歴史民俗資料館も入っておるのですなあ。いったん八雲記念館を出て、外から入り直しましたけれど、後から気付いたことには建物内で通路が通じていたようで…。

 

 

ともあれ館内の展示は例によって地元・焼津の歴史を語り伝えるところから始まりますな。古代に始まり、中世、近世、そして明治・大正・昭和から現代へという流れをさくっとさらうことになりますけれど、おや?と思うことがひとつありまして。

 

 

先史時代の解説の語り起こしが弥生時代から始まるのですなあ。焼津市HPによりますと「焼津市では縄文時代の遺跡は今のところ2ヵ所しか発見されていません」ということで、縄文人が狩猟採集で生活するにはあまり魅力的なロケーションでは無かったのかもしれません。むしろ、弥生時代、水耕稲作が広まるにあたっては大井川がもたらした沖積平野が開墾にはうってつけで、ヒトの集住はそこから始まるということのようでありますね。それだけに、稲作に関わる木製品などはたくさん出土しておるようで。

 

そんな稲作適地となりますと、開墾地の領地争いが起こるのも必定。自衛のために武士団が誕生し、その後に三河から勢力を拡大した今川氏が駿遠三に大国を構えるのも、米どころ故でしょうかね。それにしても、三河といえば松平、徳川の父祖の地とも思ってしまうところながら、今川もまた三河の出であったとは…。

 

一方で、海の町・焼津としてはやはり漁業との関わりもまた当然に紹介されておりますな。古墳時代や律令時代の遺跡から昔々の漁撈具が出土したりもしているようですから、こちらも長い歴史があるわけで。

 

 

古墳時代の遺跡からはカツオの骨が出土したということで、当時の漁法は不明ながら、古墳時代には確かにカツオ漁をしており、それが珍重される魚として伊勢神宮の神饌になっていく…てなことも想像してしまうところではなかろうかと。

 

 

時代は一気にとびますけれど、こちらは近代産業遺産的な機械であるかと。「ツナ缶」の発祥に関してはすでに触れたとおりですけれど、焼津水産学校で缶詰製造の際に使われていた巻締機だということで。ただ、ツナ缶誕生のバックグラウンドとして、静岡だけに缶みかんの製造があった…とは、こちらの資料館で知るところとなりましたなあ。

 

ところで、こちらの大きな漁船の模型、焼津は漁業が盛んだから…というに留まらない、実は広くその名の知られた船なのですなあ。船名を「第五福竜丸」と。この船に関わる展示のほどは、ちと次回に譲ることにいたしましょうかね。