またもお招きに預かり(といっても申込のアクションは起こしているわけですが)、トッパンホールのランチタイムコンサートを聴いて来たのでありますよ。今回もまたヴァイオリン・リサイタルでして、前回7月の時のソリストもかなりお若い方とお見受けしたところながら、今回はさらに輪をかけて(?)。現役の高校3年生だそうですからねえ。もっとも桐朋女子・音楽科の特待生というあたり、並ではないということでしょうけれど。

 

 

45分一本勝負というコンパクトな演奏会ですので、演目は3曲。モーツァルト1曲にサン=サーンスが2曲というプログラムながら、最後に来るのがサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番の全曲で、たっぷりした聴き応えでしたなあ。

 

といって、このサン=サーンスのソナタが馴染みある曲だった…というわけではないのですけれど、フランス音楽としてイメージする「ほわん」とした印象とは異なる、独墺音楽の流れを感じさせるところも。ソリスト自身、プログラム・ノートにこんなことを書いておりましたですよ。

サン=サーンスは、フランスの作曲家ではありますが、その音楽は伝統的なドイツ古典主義の影響を受けていたと言われ、和声進行やフレージングがわかりやすく表現されているものが多く、フランス音楽を学ぶ一歩として選ぶことにしました。

確かに、「フランス音楽」というイメージ相応の曲を作ったフォーレやドビュッシー、ラヴェルといったあたりからは何十年も先輩に当たるわけで、ブラームスとほぼ同世代なのですよね。それまでの伝統的な音楽作りに拘りを見せた点で、サン=サーンスはフランスのブラームスと言えるのかもしれません。

 

ちなみに、それまでの音楽と新しい音楽との交錯はあたかも美術の方面でのアカデミスム対印象派(以降)のようなふうにも思えるところです。さりながらサン=サーンスが、いわばアカデミズムの画家ジャン=レオン・ジェロームが印象派(以降)の作品を徹底的に叩いたほどにこてこての守旧派だったとも思われず。弟子としてフォーレを育て、そのフォーレがラヴェルほか多数の作曲家を導いたとなれば、源流はやはりサン=サーンスにありと言いますか。マティスやルオーを育てたギュスターヴ・モローを思い出したりもするところです。

 

とまあ、そんなサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタはフランクのソナタのようなアンニュイさも持ち合わせながら、相当に熱量で突き進む一面も。まさにソリストの腕のふるいどころに溢れた曲のようでもありますな。これに対して、お若いながら今回のソリストは積極果敢に攻めて、テクニカルな面では申し分の無い技量を発揮しておられたのではなかろうかと。最後の最後、畳みかけるようにして終わる高揚感は、奏者と聴衆ともどもを包み込んだものでありましたよ。

 

ただ、振り返って思うところは「聴かせる」音楽作りの難しさといったことでしょうか。かつて学生時代に吹奏楽をやっている頃、譜面をなぞるのにまず必死になったりして、とてもとても音楽を作るというところまで追いついていなかったことが思い出されます。だからといって、今回の奏者の方もまた、などと弾き比べるのは誠におこがましいところながら、譜面に書かれている音符の、音の高さ、長さを再現するだけでは情感豊かな音楽として立ち現れないのだなあと改めて(今回の演奏会がそういうものだったのだと断ずるつもりはありませんです、はい)。

 

取り分け、お披露目一曲目のモーツァルトのロンドK.373は譜面に並ぶ音符をなぞる点では易しい曲でしょうけれど、これを音楽として聴かせるのは難しいかろうと。モーツァルトの落とし穴とも言うべきところでしょうかね…。と、何やらくだくだ言い出してしまいましたが、サン=サーンスのヴァイオリン曲をもそっと渉猟してみようかいねと思わせてくれる演奏会でありましたよ。