先日来、不正やらリコールやらと相当厳しい状況に置かれていそうな日野自動車ですけれど、予てその企業博物館に一度は出かけてみようと思っておりましたのですな。こう言ってはなんですが会社が立ちいかなくなりますと博物館どころではないなりますので、そそくさと出かけていったような次第です。
最寄り駅はJR横浜線の八王子みなみ野という駅でして、構内には「駅開業25周年」という表示が散見されて、かつて多摩丘陵の雑木林でもあったろうこの辺りが、大規模に宅地開発されて四半世紀ということでもあるかと思ったような次第。いかにも「造った」感のある街並みのちょいと奥に「日野自動車21世紀センター」なる、主に研修施設であるらしい建物がありまして、その中に企業博物館というべき「日野オートプラザ」が入っているのでありますよ。
日野といえばトラックと思い浮かぶのがいかにもな屋外展示を抜けていきますと、建物内に専用の入口が。エレベータで2階に上がるようにと守衛さんに言われておりましたので、迷わずここから。
企業博物館としては当然のように社史を紹介しているわけですが、日野市にあるから日野自動車(オートプラザのあるのは八王子市ですが)というだけの認識(なにしろ♪とんとんとんとん日野の2トン、と知られるくらいで)しかなかった者にとっては驚くようなことばかりでしたなあ。
なにしろ明治43年(1910年)の創業時は東京瓦斯工業という名称で、説明に「ランプ屋から自動車製造業へ」とありますようにずいぶんと畑違いの分野に変わってのであるなあと。ただ、そこには戦争の陰があったのですなあ。それも第一次世界大戦とは…。
ガスランプから始まった歴史はほどなく灯りの電化に伴って電気製品の製造に向かっていきますが、そんな中で起こったのが第一次大戦。日本もアジアのドイツ領を攻めたりしたのですよね。軍の要請を受けて信管製造を行い、軍需生産終了後もその路線からの発展であるのか、計器類や発動機を作ることになっていったようで。創業8年(1918年)にしてすでに「国内初の国産量産トラック」の製造を始めています。
それがこちらの「TGE-A型トラック」(展示はレプリカ)でして、ヘッドライトにはアセチレンガスランプが使われていたとは、この会社らしいところでありましょうかね。とまれ、こんなふうにトラック量産に踏み出した結果、自動車部門は独立して、やがて日野自動車工業になるのであると。
また、上の図表で自動車部のすぐ上に航空機部というのが見えておりますけれど、日野(の前身)は飛行機製造も手掛けていたのですなあ。これまた全く知らないことで。
2階から始まった展示が大きな円形の吹き抜けスペースの壁沿いにらせん階段で1階へと下りていくところ、開けた空間の天井から吊り下げられてあるのが「航研機」(1/5スケール模型)なのですなあ。見た目、大型バスの存在感が優っておりますが(笑)。
国産航空機の開発として東大航空研究所(略して航研)が設計した図面に基づき、実機製作を引き受けたのが1934年(昭和9年)であったそうな。こちらの会社にお鉢が回ったのは「商業ベースでは全く採算に合わない」ことから並み居る大手が手を出さなかったからでもあるようです。
さりながら、全社一丸のプロジェクト体制で臨んだ結果、完成した航研機は「1938年(昭和13年)5月、日本としては唯一の絶対飛行世界記録(周回航続距離11,651.011km)の樹立に至りました」と。まあ、時代を考えますと、こうしたことで培われた技術が戦時の日本で零戦などにもつぎ込まれていったのでしょうか。戦前から続く日本の製造業には押しなべて戦争との関わりがあることは、何も日野自働車ばかりではないのですけれどね。
ところで、これまた知らないことではありましたですが、自動車レースのダカール・ラリー(かつて「パリ・ダカ」として知られたものの、今はパリからスタートするわけではないようで)はトラックの部門があるようですな。てっきりトヨタのランドクルーザーとか三菱パジェロとか、そういう車が参戦するものかと思っていましたが。
そのダカール・ラリーのトラック部門では日野のトラックが大活躍していたと。詳しく知らない者でも過酷なレースであるとは何かしらで見聞きしておるところでして、そんなレースに1991年の初参戦以来、今年2022年開催分まで31回連続完走を果たしているばかりか、2010年~2021年は連続優勝を飾ってきたそうな。写真は屋外展示にあったラリー仕様の、お馴染み「日野レンジャー」トラックです。
会社が誇る技術力の、ひとつの証のような勲章であるものの、2022年に優勝を逃したことと今回取り沙汰されている不正・リコール、何やら暗雲が垂れ込めてもきたのでありましょうか。一概には言えませんけれど。
会社としては、こんな未来っぽい車の開発にも取り組んでいるようながら、今回の騒動でのダメージは相当なものでしょうから。そも日野自動車に未来はあるのかどうか…。日野オートプラザに到着した際、入口を案内してくれた守衛の方が帰りがけに「よかったら、また来てください」と声を掛けてくださったものの、果たしてまた来る機会まで、この施設、存続しておりましょうや…?う~む。