しばらく海外の翻訳ものの小説を読んでいなかったので、取り敢えず判型の珍しさに「おや?」と思いつつ手に取ったのが、マグナス・ミルズという作家の『鑑識レコード倶楽部』という一冊でありました。「四六変型判」ということで、いわゆる普通の単行本の寸詰まりといったところですけれど、題材が題材だけにCDジャケットが意識されているのかなとも思ったり。

 

 

ですが、タイトルどおりの倶楽部に集まる面々に「CDが意識されている?」てなことを言ったら、門前払いを喰らうでしょうなあ。何しろ「こだわり」の強い人たちばかりですのでね。基本的に音楽を聴く集まりなわけですけれど、あくまで「レコード」で聴く、それもLPに対しては「けっ!」という感じで、シングル盤こそという人たちです。

 

原題(The Forensic Records Society)の「forensic」には「法医学」とか「弁論術」とかいう意味とともに「科学捜査」の意としても使われる言葉らしい。科学捜査=科捜研=沢口靖子…でなくて、=鑑識というつながりから採られた訳語でしょうか。いささか奇異な印象はあるものの、対象に対して私情を交えず客観的に捉え受け止めるという、リスニング姿勢が参加者に求められる倶楽部ならではと言えましょうか。参加者それぞれが持ち寄ったレコードを順番にかけて、ひたすら聴いていくのですね。「なぜこの曲を持ってきたか」といった前口上的紹介もなければ、聴き終わった後にはいっさいのコメントが禁じられているという。黙々とレコードがかけられ、じいっと耳を傾けることの繰り返しは何ともストイックな世界でもありますね。

 

こうした集まりが細々とにせよ、継続的に開催されることが知れていきますと、似て非なるものがでてきたりするのは世の常でしょうか。毎週月曜夜開催の「鑑識レコード倶楽部(FRS)」に対して、同じ場所(パブの奥の部屋)で火曜夜に「告白レコード倶楽部(The Confessional Records Society=CRS)」なるものが立ち上がるという。

 

黙して語ることのないFRCに対して、CRSは持って来たレコードを掛けた後に「思いのたけをどうぞ告白していってください」というのが主眼らしい。全く趣旨の異なる集まりですのでほおっておけばよいものを、FRSの面々は後発のCRSが盛況と聞けば敵愾心を燃やしたりする。こういう感覚は分からなくもないなあと。さらには、FRSのメンバーだった者の一部が余りのストイックさに離反してしまい、もそっと自由なコメントなどができる場として、水曜夜に同じ場所で「新鑑識レコード倶楽部」を誕生させるに及んでは「ありそうな話だ」と思いつつも、笑ってしまいますねえ。もっともこの笑いは話の中でやっていることが、というよりも、人のやることってこういうこと、あるよねえということで。

 

とまあ、ストーリー展開の点にばかり目を向けてしまいましたけれど、音楽を聴くということがどういうことなのかを考えてしまう話でもありますね。ここではもっぱらロックやポップスが取り上げられていますが、ことクラシック音楽に引き寄せて考えますと、ここでのストイックさには一定理解が及ぶところでもありますね。ただ、いわゆるマニア(自覚的であるかはともかくも)と思しき人たちほど語りたがる傾向があるのではとも。音楽に耳を傾けているときのストイックさとは別に、語ることを封印するのはさらにストイックなように思えるところです。

 

倶楽部のメンバーは皆音楽好きを自任していると思うところながら、設立発起人のひとりがあるときパブの雇われ女性(実はミュージシャン)から「あなたはあまり音楽が好きではないのでは…」てなことを言われて愕然とする場面があるのですね。果たしてここで言及された音楽、そして音楽の聴き方というのはどんなものであるのか…は想像するしかないわけですが、本書の帯をみれば「明かされるタイトルだけを頼りに、読みながらプレイリストを作った」てな人もいたりして、そういう楽しみ方ももちろん余禄としてあるようですね。個人的には指向性がそちらには向いてはいませんけれど。

 

最後になりますが、章立ても何もないままに一気呵成(というほどの勢いがある流れではありませんけれど)に物語が進んでいく文体には没入(これもストイックに通じるような)させるものがあるようで。ともあれ、なかなかに稀有な音楽体験ならぬ読書体験でもありましたですよ。