沖縄以外はおおむねどこも雨模様でありましょうか。東京でも朝からじょぼじょぼと。先日は台風14号が通り過ぎる道々で、大量の雨を降らせて行きましたし、そんなこんなのことからは、以前に「水が無くなる」ことはないのであろうか?てなことを書いたのを思い出したりもするところです。

 

それを書いたのは3年前(2019年)の今頃でして、やはり台風が過ぎ去った後だったわけですけれど、そこではこんな思い巡らしをしておりましたですなあ。

…ですが、水素と酸素があるからといって勝手に水が出来てくるわけでもないですよね。 地球誕生の物語の過程で、何らかの作用があって水が、海が出来た。 それと同じ作用がどこかで今でも生じていて、水が増産されているとも考えにくく…。

これを思い出したはのはつい先日、Eテレの『コズミックフロントΩ』で「地球誕生」の話を取り上げていたからでもありますね。地球という星がその生成過程で細かなものの衝突・合体を経て、大きくなってくればそれなりにまた宇宙空間を行きかう隕石とぶつかったりもしますけれど、そうした作用がその構成要素をいわば攪拌したり再結合させたりという中で、実に微妙な匙加減で持って水の誕生に至るという。そんなふうにできた水にとって、太陽に近ければ蒸発してしまう、遠すぎれば凍り付いてしまうと、これまた微妙な匙加減ともいうべき距離に地球はあって、水が液体として存在できているのであると。

 

宇宙は広大ですので、いくら微妙な匙加減がいくつも働いたとして同じようなことが他の場所でも起こっていないとは言い切れない。だからでしょうか、以前、Eテレ『サイエンスZERO』で天文学者たちに対してなれた「宇宙人はいると思いますか?」という(他愛もない?)質問にはこぞって「いる」方に手が上ったわけで。どこかで似たような生成過程なり環境なりの星があって、水が生まれ、そこに生物の構成要素たるアミノ酸などが生まれ、そして生物が生まれ、環境適応が繰り返されて、人間のような生物が…と繋がっていくのでありましょう。個人的に理解はしますけれど、感覚的には追いついていかないような気も(笑)。

 

ところが、今朝(9/23)の新聞を読んでいまして、見出しに「「りゅうぐう」に液体炭酸水」とあったものですから「?!」と。あるところにはある、のですなあ。もっとも小惑星りゅうぐうは地球と火星の間にあるということですので、取り巻く状況はいささかなりとも地球に近いのかもしれませんけれど、それにしても「液体」ですよ!炭酸水とはいえ「水」ですよ!と思ってしまったのでありまして。

 

別の分析では、りゅうぐうの砂からはアミノ酸も見つかっているという。自分の生きているうちに、りゅうぐうでこのアミノ酸から生物誕生に至るドラマが展開し、それを見届けられる…てなわけはありませんが、いまさらながらに「はやぶさ2」の探査成果というのはこんな形で示されるのでもあるかと。

 

「はやぶさ2」は2014年に打ち上げられて、2020年に帰還するも、実のところは打ち上げにしても帰還にしても、はたまたりゅうぐうからサンプルを取得するイベントに関しても、およそ何らの感興を覚えることはありませんでした。が、しかし、ようやっとここへ来て、「はやぶさ2」のみならず宇宙探査を行うことに少しばかり得心がいったような次第です。ただ、それでも数々の探査機打ち上げは宇宙にゴミをまき散らす結果になっているような気もししているのですけれどね…。