大阪・高槻を訪ねて、お城に絡む戦国時代頃の歴史の話ばかりになっておりましたので、別の時代の歴史の話に移る前に科学的?なお話を。訪ねた先は「JT生命誌研究館」でありまして、2004年このことですのでもうずいぶんと前の話ですが、同館の中村桂子館長(当時・現在は名誉館長)の公演企画に携わった折に「こういう施設があるのだね」と気付かされて以来、いつかは出かけてみようと考えておった次第。いやはや、18年もかかってしまいました(笑)。

 

 

で、科学的なお話と言いつつ、そこにはまた実に壮大な人類の歴史ともいうべきものが展開していたのですなあ。ともあれ、中に入ってみることにいたしましょう(ちなみに無料です)。

 

 

受付を過ぎてそのまままっすぐ奥へ抜けますと、展示ホールが広がっておりました。あたりは展示解説だらけといったようすで「はて、どこから見始めたらよいのか…」と戸惑ったものの、差し当たり右手に半円を描くように設けられた「ゲノム展」を辿ることにしましたですよ。「あなたの中にある38億年の物語。」とはどうです、壮大な歴史物語でありましょう。

 

 

「道ばたのアリ、空を飛ぶツバメ、雨の中で咲くアジサイ。すがた形や生き方は違うけれど、みんなあなたの仲間です」と始まるあたり、♪ぼくらはみんな生きている~的な雰囲気でもありますが、続いて「生きものはすべて「ゲノム」をもつ細胞でできています」と来て、「その始まりは38億年前に海にいた祖先細胞…」となってきますと、先日見たEテレ『コズミックフロントΩ』の「地球誕生」の回が宇宙物理学の側面からのアプローチであるのに対して、生物学の側面から見た地球史ということにもなりましょうかね。

 

 

ともあれ38億年前ですけれど、その頃の海は鉄イオンが多くて赤色をしていたのだそうでして、そんな中に「原核細胞」という小さな生命体が誕生したのであると。原核細胞には古細菌と真正細菌とがあるようですが、どちらも核が無い、つまり細胞内には「むき出しになった環状のDNA(ゲノム)が入っている状態ですな。この段階はまだ、その後の(ヒトを含む)生物につながる「真核細胞」とは異なるわけながら、原核細胞が壊れたときに外へ飛び出したゲノムが他の細胞に移ることも生じたと(水平遺伝子伝播というらしい)。「単細胞!」とは子どもの頃の貶し言葉であったかもですが、単細胞はまさにご先祖様なわけですね。

 

 

ゲノムの変化の中で、少し大きくなった古細胞が小さな真正細胞を飲み込んで「細胞の中で細胞が暮らす内部共生」が始まり、それが「真核細胞」につながる。今から25億年前のことだそうでありますよ。最初に飲み込まれたのは「αプロテオバクテリア」であると、そんなことまで分かっているのですなあ。で、そのバクテリアがやがて「ミトコンドリア」(生物の授業を思い出しますな)となって、動物細胞への道が開けることに。植物細胞の方は菌類段階で飲み込まれたシアノバクテリアが葉緑体となってできていくようです。

 

 

動物細胞、植物細胞とは言ってもここまでのところではまだひとつひとつの真核細胞でして、これが寄り集まって多細胞の生物が出てくるは10億年ほど前だのことそうで。多細胞の生物はそれまでと打って変わって複雑な構造になりますけれど、その原因のひとつは細胞どうしがくっつくことで「ゲノム重複」というもの。同じ機能を持つゲノムが重複する中、片方は従来どおりの働きを保持し、もう片方は新しい役割を担える「自由」を得たのであるというのですなあ。植物はゲノム重複の結果、花を咲かせるという機能を得、動物のヒトに至る過程で「頭部」と「顎」とを獲得していきますが、これもゲノム重複の作用であったようでありますよ。

 

相当に端折って辿っていますけれど、ともあれこんな具合に複雑な多細胞生物、ひいてはヒトも誕生してきたのですな。そして、今やヒトの体は30兆個もの細胞が寄り集まって構成されているそうな(赤ちゃん段階では2~3兆個だとか)。

 

 

この顔出しパネルの胸のあたりのモニターに身長、体重、年齢を入力すると「あなたの細胞の数はおよそ…」と表示されまして、ちなみに試みた結果は「およそ31兆個」であると。おなか周りに無駄な細胞がたくさんあるからかもしれません(苦笑)。

 

と、かように「ゲノム展」を辿ってみたわけながら、展示解説はこれでは終わらない…。はっきり言って生物学に詳しいわけでも、ことさらの興味があるのでもないとはいえ、このJT生命誌研究館のことを咀嚼しておこうかと思っておりますので、次に続きますです、はい。