八ヶ岳南麓高原と言われる、小淵沢から清里あたりにかけて、小さなプライベート美術館があちこちに点在しておりますね。そのどれもが訪ね甲斐のあるものとは言い切れないところではありますけれど、個人で作り上げたものだけにそれぞれにオーナーのこだわりといいますか、とことん好きなように空間づくりを行っている点には見どころありと言えるのかもしれません。先ごろ訪ねた「小淵沢絵本美術館」なども、まさにそんな空間でありましたよ。
とまれ、あたりに点在する小さな美術館の中で、このほどは「フィリア美術館」というところを訪ねたのでありました。HPには小淵沢駅から徒歩20分ともありましたけれど、駅からはもっぱら登りになるほど、道の駅こぶちさわ(中央線の駅名はこぶち「ざ」わですが…)からゆるゆる歩いていくことに。このルートの方があまりアップダウンがないもので(笑)。まあ、ごくごく普通には車で来るのでしょうけれどね。
1990年開館で「平和」をひとつのテーマにしているというこの美術館、現在の企画展は上の写真にも見えている銅版画の展覧会ということですけれど、とにかく中へ入って…と思うと、開館時刻を15分過ぎているのになぜか入口が閉ざされており…。「よもや、閉館日だった?」と立ち去るに立ち去れない(何せせっかく歩いてきたので)でいるところへ、一台の軽自動車がぶぅう~と建物の脇へと入り込んでいったかと思うと、あたふたと扉が開けられて…。何かしらよんどころのない事情があったものと思いますが、個人美術館も大変ですなあ(笑)。
「お待たせしました」と言われつつ受付をすませたところで、「館内で写真は…?」と尋ねますと、「あちらのホールのスナップだけなら」と。「ホールですか?」と思いつつ入口から左手奥にある広間へと足を進めますと、「ああ、なるほど。ホールだあね」と知ることになるのですなあ。なんとなれば、パイプオルガンが据え付けてあったのでありますよ。
広い空間に高い天井、そこに据えられたパイプオルガン。印象としては教会のイメージになりましょうかね。これがここの個性の発露でもありましょう。この場所も展示室に当てられていて、YUKOSLAVIA(ユーゴスラビアではありません)ことスズキユウコという作家の作品が銅版画を中心に展示されておりました。題材として「ラプンツェル」や「ホレおばさん」など、グリム童話ゆかりのものもありましたですが、傾向として童話の挿絵のような、メルヘンチックな印象の作品は教会らしき空間と馴染むところではありましたよ。
ホールを教会の身廊と見れば、翼廊部分のでっぱりにもあたる小さなスペースがまた別の展示室となっておりまして、こちらには常設展示が。こちらこそがフィリア美術館本来の展示ということになりましょう。企画展のメルヘンチックな様相とは打って変わって、ここに取り上げられているケーテ・コルヴィッツとミエチスラフ・コシチェルシアクという二人の作家の作品は櫃に厳しい作品でして。
前者はナチスの時代に「頽廃芸術」とされながらも、労働者に寄り添い、戦争への批判を込めた版画作品を制作し続けた人。寡聞にしてその名を知りませんでしたけれど、ドイツにおいては西ドイツ時代はもとより、東西統一後においてもケーテ・コルヴィッツの肖像は切手にもなっているのだとは、ここで初めて知ったのでありました。
後者はその名からスラブ系とは知れましょうけれど、ポーランドで対独レジスタンスに加わったことからアウシュビッツに送られるも、生還したという人物。収容所内でも密かに版画を制作し続け(そんなこともできたのですなあ)、所内で出会った「あの」コルベ神父から聖母子像を求められたとして、その時の作品が(別刷りのものではあるにせよ)展示されておりましたですよ。
いずれにしても常設展示作品を見る限りは、その作品の置かれた場所をあたかも教会であるかのような印象を与えるところとしたことに、思い入れのあることが偲ばれましたですねえ。やはり、まさしく「平和」をひとつのテーマとしている美術館なのであるなと。ともすると、重い思いを抱えることにもなる作品ですけれど、平和に向けた希望ではありませんけれど、テラスから先、開けた展望を目の当たりすれば、晴れやかな気分を取り戻せようというものです。実際を知って、なおかつ前向きに臨んでいくことは大事ですものね。