先に小淵沢絵本美術館を訪ねたお話の折、やおら「決して絵本には詳しいわけではないのでして…」とエクスキューズしておきつつも、さらりと最初の展示室はターシャ・テューダーの部屋で云々と訳知りにしてしまいましたですなあ。さりながら白状しますと(その必要もないのですけれど、笑)、ターシャ・テューダーという人、てっきりガーデニングの人だと思っていて、絵本作家という認識が無かったのでありますよ(いやはや)。

 

NHKで時折、『ターシャの森から』といった番組が放送されていること(だけ)は知っていて(見たことはありませんけれど)、なんとはなしに思い込みができてしまったのですなあ。絵本美術館の展示室で「そうであったか…」とは今さらながらに。と、その展示室の入り口近くに映画のポスターが貼ってありまして、「ああ、ドキュメンタリー映画もあったのだね」と気付かされたのですなあ。

 

 

タイトルは『ターシャ・テューダー 静かな水の物語』というもの。日本人作家が撮りためた映像だったのですなあ。最晩年のターシャの映像が記録されているそうな。これも機会ですので、見てみることにしたのでありますよ。

 

 

いやあ、自然貧乏である者にとっては何とも「目の毒」になる映像であったことか。ターシャの終の棲家となった米国バーモント州にあるコテージとそれを取り巻く庭、という以上に(NHKの番組タイトルどおり)森といっていい場所には、「これ、いいなあ」と(子供か!と突っ込まれそうですが…)。

 

折に触れて、庭を巡ったり花を愛でたりすることはあるも、これまたこちらの方にも決して詳しいわけではないのですが、予て整然とした植物園のような形よりもいわゆるイングリッシュガーデンというのでしょうか、溢れる自然にとけ込むように花々があるという方が、個人的には断然好みだものですから。これまでに訪ねたところでは、ザ・トレジャーガーデン館林などは実に素敵なところでしたなあ(ふと思いついて検索してみると、トレジャーガーデンはコロナ禍で昨年閉園してしまったとか…うむむ)。

 

とまれ、造成して花の標本園を作るような形ではなくして、その土地をあるがままに使って、その土に適う植物を植える。これが基本のようでありますね。ターシャ自身、映像の中で語っていたのは、ひとつには土のPHを測って特性を知ること、そしてもうひとつ、種を蒔く際には必ず三か所の異なった場所に蒔いて生育のようすを見るということ。好きこそものの上手なれではありませんけれど、本当に好きなことでなくてはそこまでやれないでしょうなあ。

 

ちなみに映画のあとにひとつ、NHKの『ターシャの森から』を見てみましたですが、そこではすでに亡くなったターシャの孫(といってもすっかり大人)とその子らがコテージに住んで庭を受け継いでおりました。そこで、ひ孫のひとりがやっていたことは友人から譲り受けた金魚を水槽の中で飼っていたら、残念なことに死んでしまった。これは水が合わなかったのかと、庭周りの水源から3種類の水を採取してphを測るという行動だった…とは、こんなところにもターシャのやってきたことが受け継がれているのであるなあと思ったものでありますよ。

 

ボストンのええとこのお嬢様で、母親としては社交界に華々しくデビューさせることを願っていたらしいのですけれど、娘のターシャはどうも人付き合いが得手ではなく、農家に籠って土いじりを始めてしまった…となると、こちらはこちらで家族がみな一様ではないことも思い知るところです。まあ、華々しくにぎやかなのを好む人もおれば、穏やかに静かに自然と共にあるのが好きな人もいる。ひとそれぞれではありますね。

 

そんなターシャですので、「静かな水のように穏やかであること。周りに流されず自分の速さで進むこと」がその言葉として残されているのもむべなるかな。この映画のタイトルはそこから来ているのでありましょう。

 

周りに流されず自分の速さ…とは、今の世の中、ともすると自分勝手、身勝手ともされてしまうようなところもあるだけに、なおのこと籠りたくもなるのかも。もちろん、家族や知人との交流が全くないわけではありませんので、そんなあたりはちょいと画家の熊谷守一を思い出したりもしたものなのでありました。