東京都でも蔓延防止等重点措置が解除されましたけれど、経済を回さにゃ立ちいかん…という判断からでもありましょうかね。何せ(YAHOO!のコロナ関連情報ページによれば)昨日までの現在感染者数が全国で40万人以上となっており、東京だけ見ても9万人あまりとは。これまでの波のピークよりも遥かに多い人数である中、気付いてみれば東京都では(曼防は明けたですが)4月24日までは「リバウンド警戒期間」としているそうな。まったく知りませなんだ。

 

差し当たりこの該当期間に「都民の皆様へ」として求められているところは、「混雑している場所や時間を避けて行動 ・帰省や旅行等、都道府県をまたぐ移動の際は、「三つの密」の回避を含め基本的な感染防止策を徹底等」と、相変わらずの内容。こうした個人の努力は感染拡大の時期にはなおのこと意識していたと思うのですけれどねえ…。

 

ともあれ、個人的には読響の演奏会でほぼ月一、池袋を往復する(友人と会う機会でもありまして)以外は相も変らぬ「多摩籠り」。このことはもはやコロナ感染のリスク云々以上に、都心に出るのがすっかり億劫になってしまったからでもありましょうなあ。

 

それだけに自転車で行けるような近いところで開催される音楽会は「ありがたいものであるなあ」としみじみ。たましんRISURUホール(立川市市民会館)で、この時期恒例の「早春の室内楽」という演奏会を聴きながら、そんふうに思ったものでありますよ。出演者は基本的に国立音楽大学の関係者、同大学が立川市(国立市ではない)にあるからでしょうな。

 

 

当日のメイン・プロはモーツァルトのクラリネット五重奏曲でして、弦楽四重奏にクラリネットが加わった形ですけれど、こうした特殊(とまではいえないかもながら)な楽器編成の曲は演奏に直接触れる機会が(オケの演奏会などに比べて)少ないですから、「ありがたいものであるな」と思った背景にはそのあたりもありますね。シューベルトの「岩上の羊飼い」という作品などは、ピアノ伴奏の声楽曲にクラリネットが加わるという変わり種。これまた、かつてのこの演奏会で耳する以外、機会は無いわけで。

 

と、会場でもらったプログラムの曲目解説にこんなことが書かれてありましたなあ。

(モーツァルトのクラリネット五重奏曲が書かれた)1789年といえば市民社会の幕開けを告げるフランス革命の年ですが、その頃のウィーンはそれ以上にオスマン・トルコとの戦争の真っ最中で、経済状態も悪化しており、それはモーツァルト自身の生活にも影響を与えていたのですが、そんなことを全く窺わせない、澄みきった美しさに満ちています。

そうなんですよね、ともするとモーツァルトに感じるがちゃがちゃした賑やかさ(華やかさというかもです)は控えめに、じつにしっとりしたいい曲ではなかろうかと。それが、いわば戦時下に書かれていたとは。しかも、戦時下にも関わらず、ブルク劇場という大きな会場で作曲同年に初演されたとなりますと、聴衆に束の間、穏やかな心持ちを与えたのではなかろうかと思うところです。

 

先ごろには、「村上RADIO」なるFMの番組で「特別版戦争をやめさせるための音楽」が放送されたことが話題になりましたですが、この番組冒頭での村上春樹の語りが広く紹介されておりましたですね。

「音楽に戦争をやめさせるだけの力があるのか。残念ながらそういう力はないと思います。でも聴く人に『戦争をやめさせなくちゃいけない』という気持ちを起こさせる力はあります」

今回の演奏会を聴いていて「ありがたいものであるなあ」と思った発端はコロナ禍という現実であったわけですが、つまりはありがたくも音楽を聴けるのは「平穏」であることが前提であって、その前提が揺るがされている点では(あまりにひと括りにしすぎながら)コロナ下も戦時下も近いものがあるように思うところです。

 

上に引いたように、聴く人に「戦争をやめさせなくちゃいけない」というまでの積極的、ある意味能動的な気持ちを抱かせるのは難しいとしても、少なくとも音楽を聴けるありがたみを穏やかに感じることができるには、平穏な状態があるべきであろうと気付くことから、その先の展開があることにはなりましょうか。それこそが音楽の力(のひとつ)ではなかろうかと思ったりしたものなのでありました。