ちょいと前のTBS『世界遺産』(3/6放送分でした)で、南米のティワナク遺跡が取り上げられておりましたですね。南米といえばインカと思うところですけれど、インカ帝国が栄えたのは15~16世紀になりますので、そりゃあ、人類の発祥がアフリカ大陸として、巡り巡った先の南米に文化の華が開くのには時間がかかったのでもあるかいねと思ったりしておったわけです。ところが、ティワナク遺跡は「そのインカを遡ること1200年」でもあるという。考えてみれば、人類発祥からインカまででは時間が掛かりすぎですものねえ。
と言う具合に「知らないことがたくさんあるなあ」との思いを新たにしていたわけですが、そんな折も折、またまた近所の図書館の新着図書コーナーに『謎の海洋王国ディルムン』なんつう本が置かれてあるものですから、つい借り出してしまうわけでありまして(笑)。
こちらは南米ではなくして、中東のバーレーン(本書ではバハレーンと表記されています)。ペルシア湾のアラビア半島沖合に浮かぶ島国ですけれど、東京23区と川崎市を合わせたくらいという面積の国土に、「世界最大の古墳群」が残されているというのですな。その数、75,000基とか。日本全土の古墳の数は15万基ほどだそうですから、その半数が東京23区+川崎市の領域に点在していることになるわけで、本書掲載の写真を見ますと、あたかも地面に鳥肌が立っているような状態でもあるのですなあ。
日本の巨大古墳に比べますと(といって大仙陵古墳などを引き合いに出すのは適当ではないとしても)、規模ではいささか見劣りする気がしないでもありませんですが、それでも古墳を築くということ自体、権力者がいた、財政的に豊かであった、てなふうに思い至るところでして、それが本書表紙に見える「メソポタミア文明を支えた交易国家」ディルムンの存在というわけなのでありますよ。
何千年かをさらぁっと流す「世界史」の授業では、文明の発祥として「四大河文明」の紹介があって、どんどん先へ進んでいってしまいますけれど、四つの大きな文明の中でも最古と言われるメソポタミア文明は、その土地柄からして文明を発展させるために必要なものが全て自前では揃わない事情があり、これを交易によって支えたのが今のバーレーンにあったと考えれるディルムンという海洋王国、交易国家であったということで。本書によれば、こんなふうに。
この王国は(紀元)前2,000年から前1,700年にかけて、南メソポタミアとオマーン半島、そしてインダス地域を結ぶペルシア湾の海上交易を独占し、繁栄をきわめた。南メソポタミアには、ディルムンの商人の手によって、オマーン半島の銅、インダス地域の砂金や象牙、紅玉髄、紫檀や黒檀、アフガニスタンのラピスラズリや錫、ディルムンで採れる真珠や珊瑚、鼈甲など、大量の物資が運び込まれていた。いわばメソポタミア文明を物流の面から支え、この文明の生命線を握っていたのがディルムンであった。
まさに、ディルムン無くしてメソポタミア無しというほどに重要ではありませんか。ちなみに、メソポタミアの神話には『旧約聖書』にある「ノアの方舟」の原型となる話があるということでして、ノアにあたる人間の王が大きな船を造って、大洪水から人間や動物の絶滅を阻止したことで、神は王に対して「海の彼方の楽園」を与えたのだそうな。これがディルムンだということなれば、ディルムンの繁栄、いかばかりかと思うところです。
古来、メソポタミアに勃興したのは都市国家であったりしたわけですが、これがやがて東方からも西方からも巨大帝国化の波が押し寄せ、ディルムンを飲み込んでいきますですね。ざっくり端折れば、そうした中で小さな島の存在感はだんだんと薄れていくことになるのですなあ。
それでも、山椒は小粒でもぴりりと…ではありませんが、かつてメソポタミアに対しても自前の真珠が交易品となっていたように、バーレーンの真珠というのは長く長く特産品となっていたそうな。なんでも「十九世紀末には世界の真珠の九割がバーレーン産であった」ということです。
さりながら、これを斜陽化させてしまったのは何を隠そう、日本であったようで。1893年、日本の御木本幸吉が真珠の養殖に成功し、量産化が確立されていった煽りを、バーレーンは真向から被ってしまったそうでありますよ。そのせいでしょう、バーレーンは今でも日本産の養殖真珠の輸入を禁じているのだとか。日本では偉人伝にも取り上げられたりする御木本幸吉ですけれど、こんな話もまた「知らないことがたくさんあるなあ」のひとつであるなと思ったものでありますよ。