JR南武線&京王線分倍河原駅前に聳える?「新田義貞公之像」を後に、分倍河原古戦場跡を訪ねる…と言いつつも、『ちはやふる』の話ばかりしてりますが、話を元に戻して散歩の道すがら、またまたちょいと寄り道を。すでに駅前からして「古墳」の案内が出ていたものですから、ついつい気を取られてしまいまして、住宅街の中へと入り込んだのでありますよ。

 

で、所狭しと住宅が軒を連ねる中、どんなふうに「古墳」があるのかいねと思いましたら、いやあ、しっかり古墳でありましたよ。よくまあ、この形で残されたなあと思える円墳が、忽然と姿を現したのでありました。

 

 

解説に曰く、「高倉塚古墳」と言われるその名は古くから「高倉塚」と呼ばれるところから来ておりまして、「中世以降には信仰の対象として保存されてきた」ことが、現在でもこの状態で見られる所以ということになりましょうか。

 

 

ちなみに石段に導かれて墳丘頂に登るも、見晴らしはこんな具合で。されど、民家の屋根の間から遠くに覗く尾根筋は多摩川の対岸、いわゆる多摩丘陵の一部ということになりましょう。つまり、この場所は向こうに多摩川を控え、その段丘上にある高台ということになるのですな。

 

多摩川をもそっと下ったあたりには、かつて訪ねたことのある多摩川台古墳群がありましたように、河岸段丘上というのは川が近くて水に困らない一方、高台なので水害の危険が無い場所だけに、例えば縄文の人たちなども集落を構えたりしたのではないですかね。そういう場所なればこそ、後の時代には古墳も気付かれたと、そんなふうに想像するところです。このあたりも、確認されているだけで25基の古墳があるということですので。

 

 

近いところでは、取り分け「武蔵府中熊野神社古墳」の上円下方墳でありましょうか。全面的な石葺きが再現されて、地上に舞い降りたUFOでもあらんかという威容は、以前訪ねて「ほお!」と思ったものでありますよ。

 

とまれ、ちと古墳に立ち寄りました後は、一路?分倍河原古戦場跡を目指して歩いてまいります。