世田谷美術館のコレクション展のお話がアンリ・ルソーのことだけではなんですなあ。
今回のコレクション展で展示数がいちばん多いのは横尾忠則の作品。
「ART/MUSIC」というタイトルで、LPレコードの時代からジャケット画をたくさん提供しているだけに、
展示の趣旨にも適うということなのでありましょう。
フライヤー裏面に配されたところを見ても、横尾がインドに影響を受けたことが窺えるわけですけれど、
レコード会社との関係から細野晴臣と知り合った横尾は、細野と二人、インドを再訪、このことが
『コチンの月』というアルバム(左側のジャケット画像)の制作につながったということなのですな。
さらには、このような紹介も。
インド滞在中にドイツのテクノ・ポップを細野に教えたのも横尾で、坂本龍一とエンジニアの松武秀樹も参加し、YMO結成の端緒となった…。実は(横尾は)YMOのメンバーにも誘われていて、タキシードまで誂えたが、記者発表の場に現れることなく、「4人目」は幻となった。
「ふ~ん」てなものでありますねえ。
もちろん「YMO」(イエロー・マジック・オーケストラ)は知っていますですが、
一世を風靡するようなモノゴトにとかく背を向けるへそ曲がり的な性格(今でもその嫌いはあります)だけに
活躍していた(と思しき)1980年代にその楽曲をあまり聴かずにいたものですので、
まあ、この際改めて「YMO」を、と思い立った次第でありますよ。
まいど公共図書館のCD貸出は実に便利ですなあ。
近隣市の図書館で借り受けてきたのは「UCYMO」という2枚組、
「UC」=「Ultimate Collection」ということで、要するにベスト盤でありますよ。
のっけに登場するのが「コンピューター・ゲーム“サーカスのテーマ”」でして、
80年代当時、最先端の(?)シンセサイザー・ミュージックと思えたものも、
その実、ゲーム機のピコピコいう機械仕掛けらしい音と同根であることが窺えるのですなあ。
「音」的には従来あったものと似て非なるところながら、やはり今までない、
それが新しさであったのだろうと思いますが、いささか微笑ましくなったりもしますですね。
YMOの曲として聴き覚えのある「テクノポリス」(ヴォイスコーダーによる“TOKIO”の声で知られますな)、
「ライディーン」(言わずと知れた代表曲?)、「ビハインド・ザ・マスク」(海外大物にカバ-されたり)など、
今さらながら聴き映えする音楽であるかなあと。
例えば「ライディーン」はあまりに知られたメロディーが単に繰り返されるだけと思うも、
改めて曲としての重層にも耳を傾ければ、「おお、いい」と思えてきたりもするわけです。
そして、人気があったということの別の現れとして、1981年にイモ欽トリオが歌った「ハイスクールララバイ」は
YMO「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のパクリでない?と気付かされたり。
もっとも、「ハイスクールララバイ」がいつ頃の曲だったか?と検索した際に、
そもこの曲を手掛けたのが細野晴臣であって、「イモ欽」の「イモ」は「YMO」から来ていると
これまた今さらながらに知ることになったりしたのでありますよ。
ベスト盤2枚目に至って、CMで使われた「君に、胸キュン」であるとか、
中森明菜に提供するも不採用に終わったという「過激な淑女」であるとか、
いわゆる歌謡曲的なるものが出てきたりすることに、YMOは変わったのか…とも思うところながら、
よおく考えてみますと、最初がゲーム音楽に始まることからしても、一貫して「遊び心」でもって
いろんなことをやっているユニットであったと考えるのが適当なのかもしれませんですね。
取り分け一枚目を聞き流しておりますと、時に小林克也のしゃべりや伊武雅刀の語りが聞こえてきて、
「スネークマンショー」との関わりを偲ばせることになりますけれど、彼らとのジョイントを指向するあたりも
やっぱり遊び心の故であって、むしろ聴く側の方が「新しい音楽」(たぶん崇高なものを勝手に感じたかも)への
期待度が高いあまり、送り手と受け手の間に齟齬が生じたのかもしれません。
ま、今だからこの思い巡らしもできたということでしょうけれど。