2021年の大晦日にEテレで放送された「クラシック名演・名舞台2021」、

この中で昨夏のバイロイト音楽祭に初めて女性指揮者が登場したことが紹介されておりましたなあ。

 

今でこそ女性指揮者のステージを日本でも見かけるようになりましたけれど、

おそらく割合的には企業の女性管理職比率よりも低いことでありましょう。

 

企業での比率においても政治家の数などの点でも、日本は欧米に劣っているとはよく言われることながら、

クラシック音楽の世界ではもしかすると欧米の方こそ未だ壁を払拭できていないのかも。

バイロイトにオクサーナ・リーニフが起用されて『さまよえるオランダ人』を振ったことは

ブレイクスルーになりましょうか、どうでしょうか。

 

とまあ、そんな話題を耳にしたところでもありましたので、

映画『レディ・マエストロ』を見たのでありますよ(いつの間にか無料配信に回っていたようで)。

現在以上に男社会であった20世紀前半のクラシック音楽界を駆け抜けた、

実在の女性指揮者アントニア・ブリコの半生を描いた作品ということで。

 

 

これを見て改めて、クラシック音楽界の男社会ぶりがうかがえますなあ。

おそらくは今でも変わらぬところがあろうかと想像するわけですが、

取り分け女性が指揮者を志すということでは疑問視するどころか、「ありえない」という感覚であったようで。

 

詰まるところオーケストラという大人数の集団を統率するのは「男」の仕事であるという思い込みがあったようで。

擬えてみれば、軍隊の統率を女性がやるなど考えられもしないし、ありえないことであると。

 

また、当時としては女性たちの方でも同様の認識でありましたなあ。

特に上流階級においては「女性は女性らしく」といった考えが強く、男勝りの所業はやはりあり得ないと。

そうでない階級では、むしろ前例が無いことへの挑戦など飯のタネにならないことでの反発がありますし。

 

こうした音楽界を取り巻く状況を考えたときに、1970年代の小、中、高、学校の音楽先生は

女性が多かったような気がするのですが、そのときには思い至っていなかったことながら、

その頃であっても女性がプロの音楽家になることは難しかったのかもしれんなあと、今さらながらに。

 

例えばEテレ『クラシック音楽館』を見ていて、N響公演のアーカイブが流れることがありますけれど、

現在と比べて、女性奏者のなんと少ないことか。というより、女性はオーボエの小島葉子さんのみという、

そんな時代もあったのではなかろうかと。

 

ともあれ、かような状況下なればこそ、(こう言ってはなんですが)学校の音楽教師に「でも」なる「しか」ない、

まさに「でもしか」状態であったのかもしれませんですね。

 

ところでアントニア・ブリコですけれど、散々な苦労の果てに指揮台デビューを果たして、

なおかつ女性奏者を集めたオーケストラを組織するなど、クラシック音楽界に女性の活路をこじ開けたのですな。

 

されど、これは時代が追い付いていなかったのでもありましょうか、結局のところ、女性指揮者の活躍が

普通に語られるようになるのはまだまだ先のこと。冒頭に触れましたように、現在であったも

著名音楽祭に「初の女性」と話題に上るくらいなのですから。

 

ベルリンでアントニアを指導したドイツの指揮者カール・ムックは

オーケストラを前にしたアントニアに「暴君たれ!」といったことを吹き込んでおりました。

指揮者とオケの関係を考える上で、時代を感じさせるひと言ですけれど、

確かに20世紀のある時期までは、暴君というか、専制君主としてオケに君臨する指揮者がいましたなあ。

 

ですが、指揮者とオケの関係も時代と共に変わってきているようで、

協調していかに素晴らしい演奏を聴衆に提供できるかにこそ関心を注ぐようになってきた中では、

男女を問わず活躍できる場が近づいてきているとも考えられましょうか。

もちろん、女性の指揮者でもって暴君であったり、専制君主であったりというありようを指向することも

あっていけないことはないのかもしれませんですが、オケの側も変わってきておりましょうし。