明けましておめでとうございます。
謹んで新春の御挨拶を申し上げます。
どうぞ本年もよろしくお願い申し上げます。
とまあ、型どおりの御挨拶はそれとして、
基本的には時の移ろいの中では年越しに何かあるかといえば特にはないわけで。
強いて言えば、TV番組ばかりがやたらと騒がしい限りではなかろうかと。
そうは言いましても(年末に個人的なことを記しましたように)、今回に限っては異なる要素もありまして、
まず年賀状を(敢えて)年を越してから書くという、世の中の慣行に逆らう所業に出たわけですな。
だいたい年賀状を送り合うという習慣自体が、若い方々を中心にもはや風前の灯状態ではないか、
そんなふうにも思える昨今でありましょう。郵便局から「いついつまでに投函を」などと急かされることを
全く気にせずとも、Eメールであれば即座に通信可能なわけですし、ハガキ代もかからない。
効率の点、経済的な点、いずれからも年賀状には部がないのは明らかです。
さりながら昔々、といってもPCもワープロでさえ無かった頃(ざっくり小学校から大学に至るまでですが)、
おそらく「プリントゴッコ」はあったかもしれせんけれど、年賀状は手書きをしておりましたなあ。
まあ、年賀状に限らず、手紙というものが有効な通信手段として厳然とあった時代です。
さだまさしの「案山子」(1977年)という歌の中には
♪手紙が無理なら電話でもいい、金頼むのひとことでもいい
という一節がありますけれど、ここからも類推されますように電話は簡便な通信手段ながらも、
とりわけ長距離の場合にはどんどん料金がかさんでいくので長話はできないのですよね。
当然にして「かけホーダイ」的な料金制度はありませんでしたし。
それに、近況報告としても少々かしこまった形でしっかりと相手に伝えるには
手書きの文章でという意識もまだまだあったでしょうから、その点で手紙に優るものはなかったわけですね。
しかも、これが全国一律料金で配達されるという郵便制度は経済的にも優位性を誇っていたのですなあ。
明治時代のあれこれには些か眉を顰めざるを得ないものもありますけれど、
郵便制度に関しては前島密(ちなみに越後の豪農の家の生まれですので、薩長閥ではありませんな)に
感謝せねばと思ったりするわけです。
ともあれ、ひと頃までは優位性のあった郵便、手紙が廃れかかっている。
このことを懐古的に考えるわけではないところながら、ひとつ手書きのありがたみといいますか、
そういったことに対する感覚は、所詮は伝わればいいというビジネス文書とは違うという感じ方は
持っていてもいいのではなかろうかとも思うのですよね。
そんな少々のこだわりもありまして、新年を迎えた気持ちのままに、送る相手の顔を思い浮かべながら、
その人向けに言葉を選びながら一枚一枚、年賀状を書いておった次第です。
ま、かような思いが伝わるかどうかは先方の受け止め方によるところではありますけれど。
それはともかく非常に穏やかな正月を迎えておりますよ(なにせ仕事始めがありませんから、笑)。
どうぞ皆様に2022年が良い年となりますように願っております。ではでは、今年もよしなに。