西洋の人たちにとって東洋は、今でもやっぱり「神秘の国」なのでしょうかね。

映画「世界で一番しあわせな食堂」を見ながら、そんなふうに思ったものでありますよ。

 

 

フィンランドの片田舎。国道沿いにある小さな食堂は店主シルカの人柄と食べなれた料理を楽しみに

近くの常連客が集まる憩いの場となっていたのですなあ。

 

さりながら、その食べなれた料理というのが、ジャガイモとソーセージ、いくばくかの野菜、

これをビュッフェ形式といえば聞こえがいいですが、盛り放題で好きなだけ食べてというものなのですな。

「飽きるだろうに…」と思うところが、習慣というやつでしょうか、常連さんには「これこそがいい」ようで。

 

そんなあまりに変哲もない毎日を送る田舎の食堂にふらりとひとりの異邦人が現れて、

意図しない波紋が広がる…とは、昔々の西部劇に出てくる流れ者のような構図でもあろうかと。

 

ともあれ、中国・上海から子連れでやってきたチェンはかつて恩を受けたフィンランド人を訪ねて、

はるばるやってきたというのですが、シルカも常連客も誰ひとり、尋ね人を知る人もなく…。

 

困り果てたチェン親子に宿を提供したシルカに恩義を感じて、やがて食堂の手伝いを始めるチェンですが、

実は中国では有名店のシェフであったという腕利きの料理人だったのですな。

 

チェンの作った中国料理を前にして、「ソーセージはないのか」と常連客はこぼしたりするところながら、

恐る恐る口にした料理の味に驚き、喜び、だんだんと評判を呼ぶように。

チェンの料理がみんなに笑顔をもたらすあたりが、

「世界で一番しあわせな食堂」というタイトルの発想源ですかね。

 

このいささか安直な邦題に対して、フィン語によるオリジナルタイトルは「Mestari Cheng」、

字面で想像されるように英語では「Master Cheng」でありましょう、料理の達人チェンというわけですね。

 

常連客に体の調子が悪い人がいると聞けば薬膳料理を提供して、

いささかの健康維持の助けにもなったりもして、それこそしあわせな雰囲気漂う食堂に。

ですが、この状況というのが中国四千年の奥深い神秘の料理によるとは、

理解できる設定と思うところながら、これが果たして日本料理、和食であったらどうであろうかと。

 

別に中国料理に対して、日本料理はすごいんだぞと言うつもりは毛頭ありませんけれど、

医食同源(いかにも中国発祥の言葉のようですが、むしろ日本から中国へ輸出した言葉であるとか)という発想が

日本にもあるわけですし、ふらりと現れるのが日本人の板前であってもお話にならないということはないなと、

漠然とそんなふうに思いついた次第なのですね。

 

さりながら、ここで料理の達人とされるのが中国・上海から来たチェンであったのは、

見ている側にとっての違和感の無さでもありましょうか。

 

シルカはフィン語メインで英語少々、チェンは中国語メインで英語ほどほどという中で、

徐々に意思疎通を深めていくわけけれど、流暢ではないにせよ、英語でもやりとりができることの自然さ、

これが日本人の場合には薄いような。逆に日本人だからそう思うのでしょうか。

 

もちろん、今の世の中、英語に堪能な日本人などたくさんおりましょうし、

思いがけずもといっては失礼ながら、タクシー運転手とか接客業の人たちは努力されてもおられますしね。

 

ただ、世界の果てのすみずみにまでその存在がありそうなのは、日本人より中国人ではありましょう。

それは単に人口が多いというにとどまらず、昔々から華僑の人たちがいたことを思い出すばかりでなしに、

ワールドワイドな活動範囲を持っていたことにもよりましょうか、ガラパゴス的島国とは異なって。

 

一方、そのガラパゴス的なところが「神秘」という印象を、今でも残すことになってもいようかと。

そう考えると、今回、フィンランドの田舎の食堂に現れたのとはまた違うシチュエーションで、

日本人らしさを出した設定の仕方というのが出てくるかもしれませんですね。

 

どうも中国と日本との比較みたいな話になってしまいましたけれど、この映画のほのぼのさ、

まあ、取柄はそれに尽きるところでもありますが、これはこれで楽しめたものではありましたですよ。