相変わらずご近所でふらふら…という域を出ないでおりますが、

またまた昭和記念公園へ行ってまいりました。

 

深まり行く秋という頃合い、紅葉はどんな具合であるかなと思ったのですけれど、

多摩の平地(といって、東京都心よりはいささか標高が高いわけですが)のあたりでも

なんだか締まりのないといいましょうか、何とも切れのよろしくないようすを見てきたものでありました。

 

 

そも「紅葉」という言葉からして、代表格はもみじであり、赤く染まることこそと思うわけですが、

あいにくと色覚にやや難のある者としては、どちらかと言うと「黄葉」の方が見映えがするのですなあ。

 

 

ちなみに、この大イチョウの手前に2本並んでいたのは何の木だったんでしょう。

この手の葉のものも秋には色づくのですなあ。

 

 

 

何やらまだらに黄葉しておりましたですよ。

ところで、先日見たNHK「ニッポン印象派」の受け売りですけれど、

「黄葉」というのは緑だったのが黄色く「変わる」のでは、どうやら無いようで。

 

一般に木の葉は緑色でして、要するに葉緑素があるからですが、

秋になると(夏の強い日照の後、気温が下がってくると、でしょうか)葉緑素が分解されてしまう一方、

葉緑素の陰に隠れていた?黄色い色素成分(カロチノイドというそうな)が前面に出てくる、

そういった仕組みによるそうな。つまり、緑色が黄色に変わったわけではないと。

(まあ、緑色に見えていたものが、黄色く見えるようになった、変わったとは言えましょうけれど)

 

と、「ニッポン印象派」の思い出しついでとはなりますが、取り上げられていたのは「銀杏並木」でして、

神宮外苑の、青山通から絵画館に続くイチョウ並木にフォーカスしたものなのでありました。

 

考えてみますと「秋の夕日に照る山もみじ」というくらいで、紅葉の方は山中、山里が似合う印象かと。

これに比べて、黄葉、その代表格はイチョウですが、こちらは都会に(も)似合う印象があるような。

街なかにもみじ並木はありませんが、イチョウ並木は結構しっくりくるふうで。

 

 

昭和記念公園の中にもイチョウ並木を作り出したところがありまして、

平日にもかかわらずそれなりの人出なのでありました。ここは公園の中ですが、

これが町なかの並木道であっても、全く違和感が無いのがイチョウでありましょうかね。

 

考えてみれば、だからこその選択だったのか、東京都の木はイチョウなのですなあ。

東京だからといってなんだってイチョウ?!とは思っていたところでして、

国蝶オオムラサキが思わぬ?プロセスで選定されていたように、

東京都の木の選定にも思わぬプロセスがあったのだろうかと勘繰ったりしたわけですが、

どうやらこれは都民の投票結果であったそうな(投票総数は大した数ではなかったようです…)。

 

つまりはそれだけ都会にも馴染むものと考えられたということでありますね。

もっとも取り分け東京だからという要素は、イチョウにはないものと思いますが。

 

先の番組での紹介に曰く、イチョウは太古に繁栄したものの、

その後長らくは中国にわずかに残るだけとなり、日本へはさまざまな文物とともに大陸からもたらされたとか。

 

さらに、ヨーロッパへの伝播は日本からケンペルが持ち出したのを皮切りに、

やがて植栽が進んでいったということですが、そういえばワイマールを訪ねたときに

ゲーテとイチョウのゆかりあることを知ったのでもありましたなあ。

 

ところで、絵画館前のイチョウ並木には、朝な夕なにこれを見守る職員がいるというのも番組での紹介。

だからこそ見事な黄葉が見られることになりましょうかね。

 

もちろん、昭和記念公園でも植栽のケアは怠り無いところでしょうけれど、

何しろ広い園内には膨大な木々があり、細かな目配りはしにくいのが現実でありましょう。

それだけにイチョウにばかり目を掛けてはいられないだけに、並木のイチョウもその他のイチョウも

枝ぶりとしては「う~む」と思えてしまったり。自然に近いとは言えるとしても。

 

 

結局のところ、手が掛かったイチョウの並木などにこそ見映えを感じるのは都会らしいところかも。

それだけに、東京都の木として選ばれたのは「なるほど」なのかもしれませんですね。