「わだばゴッホになる」

この言葉が刻みこまれた石碑のある青森の平和公園からほど近く、

言葉の主である板画家・棟方志功の記念館があるものですから、覗いてみることに。

「青森といえば棟方志功」とは言い過ぎかもしれませんが、青森市の名誉市民第一号だそうですし。

 

 

日本庭園の前庭の奥にある美術館の建物は、なんとなくですけれど、

民藝運動と関わりのあった棟方志功をイメージしたものでしょうか、

取り分け右側の展示室が入った建物は校倉造りを意識してもいるような。

 

 

ともあれ、入館してまずはビデオ上映でもって振り返る棟方志功。

板木を彫るようすが鬼神のごとしとはよく見かけるところながら、肉筆画を描くときの姿の尋常でないこと。

速い筆さばきは迷いがないとか、もはやそういう段階ではありませんね。

まさに何かが降りてきているとしかいいようがないですなあ。

 

 

八甲田連山を写したこの作品も超高速モードで描かれたのでしょうかね。

ビデオの中では、本業の版画(棟方的には「板画」ですが)や肉筆画には相当な神がかり状態であって、

油絵を描くときがいちばん気楽といいますか、そんな紹介がありましたけれど、こちらの作品あたりも

肩の力を抜いていたのかもです。

 

 

「太陽花図」。やっぱりゴッホへのオマージュでありましょうなあ。

ところで、先に棟方は民藝運動と関わりがあった…と申しましたですが、

関わりの一端として陶芸家・濱田庄司はこんなふうに言っておりますよ。

この春の國展で柳や水谷兄と棟方君の版画「大和し美し」に感心して、民藝館の為に買いたいといったら、棟方君はいきなり抱き付き万歳を叫んだ。そして手拭で汗を拭き拭き絵を説明し朗読した。それがおよそむき出しでいながら、不思議にいんぎんなところがあり決して分をはずさない。私達は作品にもまして棟方君と縁が出来たのを悦び合った。

ビデオ上映を見た後でもあり、棟方の手放しな喜びようが目に浮かぶようではなかろうかと。

濱田も「およそむき出し」と言っておりますが、全くもってそのまんまありのままの人だったのでしょう、棟方は。

ちなみに(ほんの始まり部分だけですけれど)「大和し美し」(1936年)はこのような作品ですな。

 

 

展示解説には濱田のほか、柳宗悦、河井寛次郎といずれも名だたる民藝運動の担い手たちによる

棟方への賛辞を見ることができますけれど、この「大和し美し」が出世作だということで。

時に棟方、33歳。遅咲きとまでは言えませんが、早くに世に出たとも言えませんですね。

 

 

雑誌「白樺」に掲載されていたゴッホの「ひまわり」を見て多いに触発されたのが18歳のときであると。

ですが、画家を志したのはそのずっと前、小学六年生のころであるとか。

 

近所で飛行機の不時着があったと、周りの子供たちはこぞって見に行こうと駆け出した中、

志功少年は転んで田んぼに落っこちてしまった。ふと顔を上げるとそこには(ビデオの中の志功曰く)

「かわいい、かわいい」沢瀉の花が咲いていたというのですな。思わず知らず志功の中に

「この美しさを表現できる人になりたい」という思いが芽生えたという。

何とはなし、棟方志功は子供のころから棟方志功であったのだな…と思ったりするところです。

 

そんな棟方志功の表現する美しさ、これがようやくに他の人にも伝わるには33歳まで

歳を重ねることが必要だったのでありましょうか。天才の業によくある如く、

ようやく世間が追い付いたのかも…とも思ったりしたものなのでありました。