青森に出かけたと言って、まだ青函連絡船の話だけしかしておらない状態ですけれど、
ちょうど黄葉の話が出たところで、一泊した翌日へと移って行こうと思うのでありますよ。
というのも、その朝目にしたのはこんなようす。青森では10月末に、こうなっておりました。
このときは棟方志功の記念館へ出向こうとして、ここはその途中にある青森市の平和公園というところ。
園内に棟方志功の言葉を刻んだ碑があるということで、立ち寄ってみたわけですが、
何とも鮮やかに、見事に色づいた樹々が目を奪うのでありました。
ところで、「棟方志功の碑はどこに?」とうろうろしましたところ、
何より目につく、大きな大きなモニュメントに到達、どうやらこれが平和を象徴している、
何しろ平和公園という名が付いた場所ですのでね。
さりながら、何故にここが平和公園?おそらく言われがあるのだろうと思うのが自然ですな。
実はこの公園、マップ検索でもしてもらえますと、何とも妙な形であることに気付かれるかと。
町の区割りの中でも収まりが悪いような、区画を斜めによぎって細長く、不思議な形をしておるわけです。
そもそもここには1968年まで東北本線の駅があったということなのですな。
ルート変更で廃止された浦町駅というのが、かつてはここにあったのであると。
地方都市にはよくあることですけれど、いわゆる中央駅にあたる駅が
町の中心から外れたところにあったりしますですね。青森も同様のようで、
青森駅自体は中心からいささか西に寄っていることでもあり、
東寄りの人たちの利便に供していたのが浦町駅であったということでもあるようで。
町中を歩いていますと、ああ、このあたりがかつては町の中心だったのかもと、
青森駅から離れたところで感じたりもしましたけれど、時が経つにつれて、
駅の近くにはそれなりにいろいろな施設ができたりする一方、かつては中心だったところも
いささかひっそり閑としていく…そんな時の流れを感じたりもしたものです。
ともあれ、かつては駅だったという平和公園、そう知ってみれば不思議な形と見えたものがまさに!と
思えるところなわけですが、何故に平和公園かと思えば、戦時中の青森空襲の際、
多くの市民が浦町駅の駅舎に避難したということから、駅の廃止後、ここを平和の象徴にと
なっていったようです。そうして造られた巨大モニュメント、何だかロシアを思わせますなあ…。
(単に「北方」というつながりだけではありますが…)
でもって、肝心な(?)棟方志功はどこ?なわけですが、いろいろと石碑らしきものを眺めつつ、
あれかな、これかなと見た結果、「おお、これであるか」と。
刻まれているのは有名な言葉でありますな。「わだばゴッホになる」。
青森生まれの少年にはゴッホの色彩はあまりに衝撃的だったのか、
ゴッホ、ゴッホと言ってばかりの志功少年に「風邪ひき志功」というあだ名が付いた、
そんなエピソードも残っているそうでありますよ。
大きくどっしりとした一枚岩の硬質さと「わだばゴッホになる」という、ごつごつした語感とが
うまくマッチした石碑ではなかろうかと思うところです。
とまあ、そんな思いを抱いたところで、次には棟方志功記念館を訪ねたお話に続くのでありました。