かつて青函連絡船として活躍した八甲田丸がメモリアルシップとして青森港に留め置かれ、
資料館になっているものですから、乗り込んでみたという次第。
まず最初に出くわすのは「青函ワールド」なる展示だったのでありますよ。
「昭和30年代 活気にあふれる青森駅」とありますように、
当時の写真や等身大ジオラマで埋め尽くされた青森版「三丁目の夕日」でもあろうかと。
壁面にある旅客運賃表を見ますと、二等、三等の運賃が表示されておりまたよ。
列車の三等が廃しされたのは1960年ということですから、
ジオラマの時代設定は昭和30年代でも前半なのでありましょう。
ちなみに当時、青森から東京まで三等列車の運賃は1,010円、現在の運賃が10,340円ですので
およそ10倍になったということになりますなあ。
ところで、東北の人たち、青森の人たちもそうですが、彼の地のひとたちにとって
このような展示は懐かしさを醸すものでもありましょうし、年代によっては新鮮さがあったりもするでしょうけれど、
長らく運航していた青函連絡船を偲ぶ展示として、なんだってこの年代にフォーカスするのか…てなふうな
思いもあるかもしれません。
さりながら、今のような見た目の「豊かさ」とは違うものがあるように思えてくるようにも思うところです。
いたずらに昔懐かし=手放しであの頃は良かった…ではありませんけれど、当時を振り返って
青森駅が活気にあふれていたということは、今ではさほどでもないということになりましょうか。
実際、青函連絡船の廃止、すなわち津軽海峡線の開通で、本州・北海道間移動の際、
青森駅は単なる乗り継ぎ駅になってしまい(連絡船の頃は出航待ちの人たちも駅から出たでしょう)、
その後さらには新幹線が通じたことで、遠方からの玄関口は新青森駅に移ってしまいましたし。
もちろん今でも青森市でいちばん繁華な場所は青森駅前だろうとは思いますけれど、
どちらかというと多くは地元の人たちの往来でもあるような(コロナで観光客が少ないこともありましょうが)。
がから東京まではございます。
と、話を八甲田丸に戻しまして、続いては「青函鉄道連絡記念館」というコーナーに差し掛かりますが、
資料館としてはここがメイン展示なのでしょうな。この部分は改めて詳述するとして、さらに先へ。
順路示す床の矢印に従って、階段を上り下りしていきますと、たどり着いた1階部分は車両展示室と。
ご存知のように青函連絡船は船腹に鉄道車両を積んで、津軽海峡を行き来したわけですけれど、
基本的に貨車の運搬だったのですから、こんな車両が本当に載っていたと考えてはいけんわけですね。
ですが、それはそれとしてレトロ車両の展示という意味合いも担っているということなのでしょう。
車両展示室からさらに階段を下りますと、船底に近い「エンジンルーム」となります。
巨大な豪華客船などにはとても及ばないものではありましょうが、それでもずらり並んだエンジンが
唸りをあげて駆動する姿が想像されますね。全部合わせて、12,800馬力の出力であるとか。
海を渡るというのは実に大変なことであるなと思うところです。
ということで、しきりに下へ下へと向かうばかりの印象ですが、
実は甲板上は展望デッキということになっており、こちらからの眺めはこのような。
正面に光の列の並んでいるところが青森駅ですね。
かつてはその線路と、この八甲田丸のある岸壁は線路が繋がっており、
またさらに右手方向に延びた線路がもう二つの岸壁とを結んでいたということです。
そんな時代の青森駅の賑わいは、やはり「青函ワールド」のようであったか…と
思い巡らしたりしたものなのでありました。