小説を読んでいて、といって小説ばかりの話ではありませんし、特に現代の小説ばかりでなくして

古い作品を読んでいてもではありますが、こと服装が細かに語られる部分にはどうも付いて行きにくく…。

 

服装を語ることで、その人物の個性、キャラクター付けを補強する意図があって、たぶん多くの人に

そのイメージが思い描けるのだとは思いますが、ことファッション(ばかりでない流行りもの全てですが)に

きわめて疎い者としては、説明されているのにその人物の姿かたちを思い描くことができずに

「う~む」となってしまうことがよくあるのですなあ。

 

たまたま手にして一冊も、タイトルからして服装のこと?などと思いながら、

大胆なトライとして読んでみたですが、どうやら服の種類ではなくして、手帳のことだったようですね。

「赤いモレスキンの女」。モレスキンとは、イタリアのメーカーによる手帳のブランドなのだそうで。

 

 

ところでこの物語、あらすじはこんなふう。

まあ、モレスキン抜きでも赤い手帳の女として読めるわけで、雰囲気作りのアイテムだったのでしょうなあ。

ファッション関係は全てそういうもので…と言ってしまうのは、分からないが故のエクスキューズかもですが。

パリの書店主ローランが道端で女物のバッグを拾った。中身はパトリック・モディアノのサイン本と香水瓶、クリーニング屋の伝票と、文章が綴られた赤い手帳。バツイチ男のローランは女が書き綴った魅惑的な世界に魅せられ、わずかな手がかりを頼りに落とし主を探し始める。

ローランが女性を探そうとする理由。なまじ「バツイチ男」などと紹介されますと、

それこそ途絶えていた女性との関わりを持つきっかけと前のめりになっているような想像もできてしまいますが、

ローランはそういうタイプではないのですな。むしろ対比されるようにネットの出会い系に嵌る友人に

「お前も登録しろよ」と唆されても、相手にしないような人物でありますから。

 

ではなぜ?と思うところですな。

そもバッグを拾ったときにはごくごく普通の手続きとして警察に届けに行っており、

今忙しいからと警察がこれを受け取る手続きができないまま、ローランは後でまた来ますと立ち去ることに。

でもって、一旦自宅にもって帰ったところ、ひっそりと、やがてむくむくと好奇心が湧いてくるわけですね。

バッグにはいったい何が入っているのだろうかと。

 

他人のものを覗くのははしたないとは思っても、元に戻して警察に届ければ何も差し障りはないだろう。

どのみち警察に届けるのだしと、これくらい考えることはありかもしれません。

 

そんなことから覗いたバックから、思いもよらないものが出て来てあたふたする。

その「思いもよらないもの」を奪い返しにくる者が現れて、巻き込まれ方の逃走劇に発展…と、

そんな展開には全くならないのでして、淡々と物語は進みます。

 

書店主であるローランが自ら持ち主を探すという深みに踏み込んでいくのは、

パトリック・モディアノのサイン本を持っていたことからなのですよね。

個人的にはあいにくと浅学にして、モディアノというノーベル賞作家を全く知らなかったのですけれど、

ともあれそのサイン本を持っている女性に対して、さらなる好奇心が搔き立てられたのではありましょう。

 

そして始まる女性探し。すでにここまでにも警察の対応から始まって、さらには女性探しのプロセスでも

例えばこれがミステリーだと考えれば、突っ込みどころ満載で穴だらけなのではないかとも思える。

そして、これをロマンティックな物語と受け止めるにしても、話の展開に都合よく作られていると

すぐに思い至るところがままあるわりまして、いささか陳腐な話とも言えないことはないような。

 

そうでありながら、「読ませる」ものになっていると思うのですよね。

思うに、そのあたり文章の、文体の(といっても仏文オリジナルの翻訳で読んでいるわけですが)なせる業、

そんなふうに言えるのではなかろうかと思ったりもしたのでありますよ。

 

昨今は取り分け、新奇なプロットでもって作り出される小説が多い中、

出来事そのものは珍しくのないですし、さらに結末も「こうなるだろう」と(誰もが)思うとおりになっていく。

およそ新奇さとは縁遠い小説ですけれど、読みながら、そして読み終えてじんわりと余韻に浸る心地よさが

あるのですよねえ。なんとはなし、秋の夜長には読書を…というのにしっくりくるような一冊なのでありました。