谷内六郎といえばどうしたって週刊新潮の表紙絵となりましょうなあ。
ですが、画家としての谷内はそれだけではないわけで、またそもそもはパントル・ナイーフ、
つまり独学で絵を学んだ画家であった…ということなことを、Eテレ「日曜美術館」で紹介しておりました。
2021年が生誕100年であるということで。
放送でも紹介されていた横須賀美術館の谷内六郎館には、一度立ち寄ったことがありますけれど、
どうにもこうにも素朴な印象、ノスタルジーの画家といった判で押したような印象のままに臨んだもので、
どれもこれもさらりと眺めては「懐かしいなあ…」くらいの受け止め方であったのでしたが、
おそらくはそこに展示された表紙絵にも「表紙の言葉」という谷内の文章が添えてあったのでしょう、
それを読みながら見て歩けば、印象はだいぶ変わったかもしれませんですね。
もちろん、そうした言葉に頼らずとも谷内の描くところから多くを汲み取って、
その深淵に迫っていた方々もいるわけで、番組に登場した佐藤可士和や詩人の池井昌樹らの語るところに
ふむふむと思ったりしたものです。
そも個人的に、谷内の表紙絵に対して通り一遍の印象しかもっていないのは
一枚の絵としてきちんと向き合うことなしに、もっぱらCMのイメージで記憶しているからでもあろうかと。
「週刊新潮は明日発売で~す」という子供の声と、これに続く「赤とんぼ」のメロディー。
改めてYoutubeに挙がった動画を見ますと、子供の声が告げる内容にはいくつかバリエーションがあり、
続く音楽も「村祭り」だったりするのですけれど、どうも記憶に結びつかない。
個人的にはひたすらに「明日発売」と「赤とんぼ」なのですなあ。
さらには、Youtube動画はTV-CMだったりするのかもですが、とにかく記憶にあるのは音声だけ。
おそらくはラジオCMこそが記憶にあるというところなのかもです。
思いがそんなところに辿りつきますと、またまたどうでもいいことを思い出してきますなあ。
昔むかぁし、ラジオから流れていたであろうCMの数々でありますよ。
取り敢えずおもちゃ箱をひっくり返したようにぶちまけてしまいますが、
まずは千鳥饅頭の「♪チロ~リア~ン」というもの。いったいどういう商品なのかは今もって知らぬままながら、
お菓子であることは間違いとして、「ちどり」と「チロリ」の音が似ているところから、
子供ごころに何度も「聴き間違えであるのか…?」と思ったりしたものなのでして。
「♪つんつんつのだのテーユー号」なんつう自転車のCMもありましたですね。
自転車のブランドでCMとは、今は全くといって無いものでありましょうけれど、
かつて一世を風靡した子供向けサイクリング車、光が流れる電子ウインカーが付いてたりするタイプは
結構TV-CMなんかもあったのではなかったかと。
つのだじろう(もっぱら恐怖マンガで有名になってしまいましたが)の漫画「泣くな!十円」の中で、
流行りの自転車が欲しくて欲しくて、でも買ってもらえずしょぼんの十円(主人公の名前です)が出てきますな。
あるところから自転車をもらいうけることになって大喜びする十円でしたが、届いたのはおんぼろぼろぼろの
流行りのウインカーなどあるはずもない残骸のような自転車に、またまた大がっかり。
これを見たお父さん(だったかな…)が、古いパーツを交換し、あれこれの部品を加え、塗装もし直して、
世界にただ一つのカスタマイズ自転車を作り上げてくれ、大いに十円は面目を施した…というお話があったという。
ま、それくらい(どれくらい?)流行った自転車があったということなのですなあ。
ちなみに、テーユー号の中にもこの手の自転車がありまして、
セレクトフラッシャーとか凄い横文字名前であったようでありますね。
そして、ラジオで聴いていたが故に勘違い?をしてしまいそうだったのが京成電鉄のCMソングですかね。
歌詞の中に「♪街だ 海だ 緑だ 風だ 繋ぐ 延びる 明日へ向かう」というフレーズがありまして、
いろんなところへ連れて行ってもらえそうだな感覚がふつふつと沸き起こるような。
ま、実際に京成電鉄はその名のとおりに東「京」と「成」田を結ぶ路線であって千葉県の内陸部に向かい、
いざ乗ってみれば、線路に迫る民家の軒の間をすり抜けていくという、ある種のお楽しみはあるものの、
行楽感覚の電車とは違うかなというイメージ。確かに「海だ」と言われれば谷津遊園の潮干狩りに行けますが…。
ところで何のCMだったのか、どうしても思い出せないものがひとつ。
ヴァイオリンによるノスタルジックなメロディーで知られるドルドラの「思い出」が使われていた…といって、
その曲がドルドラの「思い出」というタイトルであるということは、かなりのちに知ったことなのですけれど、
確か洋菓子のCMだったと思うのですけれど、何だったですかねえ。「♪ありあけのハーバー」ではないですし…。
とまあ、まさに取り留めもなくなってきておりますが、記憶の底に眠る数々のこと。
ふとしたことで噴出するとは、あたかも休火山のようではあるなと思ったような次第でありますよ。