朝、新聞のページをぱらぱらと繰っておりまして、ひとつコラムに目を止めたのでありますよ。

筆者がロンドンでタクシーに乗ったときのことであると。

 

雨が降り出し、土砂降りとなったところでタクシーの運転手が振り返り、

「It's a fine day.」と声を掛けてきたのだそうな。実際には雨ざーざーなわけですから、

思わず「No, not fine.」と応えてしまうと、かの運転手、片すくめてあとは無言だったということで。

 

こんなときには「Yes, fine for ducks.」と応えるのが英国流の習わしであると、

後から教わったそうなのですけれど、言葉どおりに受け止めれば、

アヒルにとっては雨降りも水浴び気分でいい天気ということになりましょうか。

 

確かに立場を変えれば、「よくない」と思えることも「よい」と思えるかもしれない。

そして、言外の意味合いとしては、そんなふうに見方を変えることで

ネガティブな方向からポジティブな方向に印象を変えることもできるということになりましょうね。

 

このタクシー運転手、なかなか発想が豊かではないか…というより、

タクシーの運転手も普通に使うほどにかの国では馴染んだ言い回しなのでしょう。

日本の商店で、初めて来た客にも「まいどあり」と言いますけれど、

これなど言葉どおりに受け止めれば「初めてなのに、おかしなことを言う店員だ」となるところを

慣用的に慣れ親しんだ言い回しと言えましょうから。

 

ところで、このエピソードに触れてコラムの筆者が思いあたったことは

現代の日本が「何につけモノサシ一本主義に染まった」ようになってしまっていることのようで。

何かしらの判断をする基準として当てるモノサシが一本しかない、即ち複眼的な視点に欠けているのではと。

 

もひとつ紹介されていたのは、少々古い話ですけれど1994年のコメ不足のときのこと。

補うべくして緊急にタイ米が輸入された時で、個人的にもかなりタイ米のお世話になりました。

ですが、このとき「パサパサでおむすびも握れない」との不満が続出したそうなのですなあ。

 

大括りで言えば日本米もタイ米も同じコメではありますけれど、それぞれ気候風土が違う中で生育されて、

違うことを前提に食べ方も異なるものであるところを、日本米と同じでないと言ったところで詮無い話です。

むしろ米を送ってくれたタイには感謝こそしても、文句を言う筋合いではないでしょうに。

 

かつて太平洋戦争敗戦後の食糧難の時代、アメリカからの小麦に食事情を頼るところがあったと思いますが、

そのことがパン食を根付かせたほか、日本の食文化を多様化させてもいったような。

小麦素材の食料の受け入れとタイ米の受け入れとにずいぶんと違いがあったものだと考えるにつけ、

アメリカをありがたがり、タイ(を含む東南アジアなど)をいささか低く見るようなところがあったのかもと思ったり。

 

それはともかく、モノサシ一本、それもひたすらに自分本位のモノサシでしか物事を見ないとなれば、

多様性を受け入れたりすることもできないでしょうから、自らのものの見方をこそ見つめ直す必要はありそうです。

 

やはりこのコラムに引用されていたことに、童謡「あめふり」がありました。

冒頭に触れたように、雨降りは気分も沈むところではありますがけれど、

この童謡に歌われているのは、雨が降るとおかあさんが傘を持ってお迎えに来てくれる、

うれしいなあという、とてもポジティブな発想なのですよね。

しかも「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」ですものねえ。

 

結局、なんでもうれしく楽しがるのが子供ではないかなどと訳知り顔で言うよりも、

さも訳が分かったふうな大人が子供の前向き感覚を忘れてしまわないようにした方がいいかもしれませんですね。