これもまた先日、池袋に出かけた折に立ち寄った豊島区立郷土資料館の企画展のお話。

コロナ禍であるところからでしょうか、「薬と祈りの処方箋」と銘打った展示でありましたよ。

 

 

日本人と病気との関わり方の歴史をたどるといったふうの内容ですけれど、

まずもって昔の人は病の原因をどんなふうに考えていたかというあたりから。

 

よく知られたことではありますが、ひとつには疫神、つまりは厄病神によるというものですな。

そしてもう一つは、体に巣食う虫が悪さをしているというもの。古くは漠然と…だったのでしょうけれど、

印刷文化が進んだ江戸期には悪さをする虫の数々を図鑑でもあるかのように絵で示す本まであったようで。

 

それには、労咳(結核ですな)の虫やら腹の虫などいろいろとイラスト化されていて、

チビ悪魔みたいな姿かたちが多いわけですが、疝気の虫には長い長いサナダムシのような図が。

あたかも目黒寄生虫館にある標本のようであるとは、さすがに江戸期にはこうした虫が実際にいることを

知っていたのでもありましょうかね。

 

病気の原因としてさらには鬼や妖怪などの怪異によるというもの。

「平家物語」には、内裏にかかった黒雲の中にいた鵺の鳴き声が天皇に病をもたらした原因とあるそうですな。

 

そして大がかりな流行り病をもたらすのは「実在した人物の怨念」であるてなことも考えられていたようで。

たまたまの巡り合わせなのでしょうけれど、長屋王が亡くなった後には天然痘が大流行して、

敵対していた藤原四兄弟が相次いで罹患したことから、「たたりじゃ~!」と。

他にも有名どころでは菅原道真とか崇徳院とか。

 

ともあれ、病の原因はよくわからないものに託して考えていたわけで、

これを治めるには「祈り」に頼ることも多かったということになりますね。

大宝元年(701年)にできた大宝律令の中に「医疾令」というのがありまして、

医薬を司る典薬寮とこれに関わる官職が設けられますが、医師(くすし)、鍼師、按摩師と並び

呪禁師(じゅごんし)もまた官職のひとつに数えらえていたということでして。

 

すでに「薬」と言う言葉が使われているように、中国大陸から様々な薬種や治療の方法が伝わっていたようで、

正倉院にも生薬の欠片が収められているとか。中国か、はたまたシルクロードの先からでしょうか、

貴重なものだったのでありましょう。

 

とまれ、こうした薬や治療法の伝わり方は6世紀の仏教公伝ともかかわって、

展示解説にはこのようにありました。

仏教の医療思想は、インドのアーユルヴェーダを礎にしており、体内のバランスを重視します。そこに中国の本草学が混ぜあわされた形で日本へと伝わってきました。また、道教の呪(まじな)いや占術も大陸からもたらされました。

これを見ると、典薬寮に設けられた官職の種類がなんとなく頷けるところであろうかと。

されど、この官職の人たちが相手にするのはもっぱら朝廷のお偉いさんたちであって、

庶民には医療の手がとどくことは稀だったのではないでしょうかね。薬も希少で高価ですし。

 

となれば、そこに生ずるのは民間療法、古くからの言い伝えで虫に刺されたときには

どの草の葉っぱを貼ったらいいとか、腹下しにはどの草を煎じて飲めばいいとか。

 

要するに本草学の知識も民間伝承の集積を取捨選択して出来上がっていったのでしょうけれど、

やはり江戸期には印刷物としての本草学の資料が流布するにようになって、

医者にかかれない庶民はこれに頼ることもさぞや多かったことでありましょう。

 

一方で、鍼治療といったものも連綿と続けられていたのでしょう。

展示で江戸末期から明治期にかけてのものとされる携帯用鍼箱などを目にするにつけ、

江戸期の出版本に原話があるという、落語の「たいこ腹」を思い出したりも。

もちろんこれは笑い話ながら、鍼道楽の若旦那に鍼を打たせることになってしまった幇間、

素人に毛が生えた程度の下手な鍼に、さぞや痛い思いをしたことであろうとしみじみ思ったものでありますよ。