ちょいと前にドキュメンタリー映画「キング・コーン」を見てみたわけですけれど、

実のところこの映画は岩波ジュニア新書の一冊、『食べものから学ぶ世界史』に紹介されていたのですな。

最寄りの図書館の新蔵書コーナーで見かけて借りて来ていたのでありました。

 

 

タイトルに「世界史」とあるものの、それに続けては「人も自然も壊さない経済とは?」と。

なるほど古代からのヒトと食べものの関わりを歴史的になぞって説明する部分はありますが、

やっぱりこれは経済学、というか「資本主義って?」という本であろうかと思うところです。

 

そして、「現在の資本主義は、…そもそも人間の健康や自然環境などは切り捨て、

お金で計れる部分だけでの効率性や成長のみを目指す仕組み」と言い切っているあたり、

著者(経済学の先生ですな)のスタンスは明らかで、「うんうん、そうそう」と頷いてしまうのでありますよ。

 

歴史の中では「よかれ」と考えられて出てきた資本主義も、

どうやらそれで行きついた先の現代にあれこれ多くの問題をばらまきつづけているような。

 

かつて資本主義VS.共産主義という関係で見られた時期に、

共産主義は崩壊への道をたどったところから「やっぱり資本主義だあね」と受け止められたりもしたでしょうけれど、

資本主義に代わるものが見出だせないから資本主義がいいのだ、資本主義しかないのだとはならないような。

悲しいかな、それに代わる社会のありようを示すことができないでいるがために、勢いは止まらないわけで…。

 

ともあれ、資本主義の何が変と言って、とにかく経済成長を求めている点でしょうかね。

そして、その経済成長を計る指標がGDP、つまり「お金で計ることができる活動」が増加しているかどうかでは、

簡単に言うと(お金換算できないものは放っておいて)ひたすらに金を回しましょうということなわけです。

 

縄文時代は狩猟採集によって成り立っていた(すでに耕作も始まっていたと言われるようになってますが)。

必要な食料を自分たちで得て、また必要な道具を自分たちで作って、それぞれ自己完結的に消費していた時代、

もちろん物々交換的なやりとりが全くなかったわけではないでしょうけれど、仮にそれを貨幣換算できたとしても

GDPは低く、またそれの増加にやっきになったりしていない。それでも、そのときのなりの豊かさがあったのではと。

 

言うまでもなく現代と縄文を比べて縄文が豊かだったというつもりはないですが、

おそらくは経済成長を追い求めなくともよいありよう(資本主義に代わるもの)が全くないとはいえないと

思うのですよね。ただ、資本主義で莫大に儲かっている側はそのシステムを手放したくはないでしょうから、

その金=パワーを持つ立場を作り出してしまった段階で、すでに資本主義の呪縛から逃れられないのかも…。

 

一方で、そうはいっても経済成長を目指さなければ、現代でも貧困や飢餓を抱えた国々もあるではないかとも。

ここで今も飢餓に脅かされている国々があるという点では、(個人的には理解不足であったと恥ずかしながら)

植民地とされていた時代にモノカルチャー化された影響が今でも残ってしまっているということもあるようで。

 

WFPなどによりますと、飢餓の原因は戦争や紛争、そして旱ばつなどの自然災害等々が挙げられているも、

こうした国々でも農業に携わる人はいても、そもそも自分の口にはいる作物を作っていないことには

触れられておりませんですね。グローバルに大規模化、工業化した農業の、下請けの下請けといった状態。

真っ先に貧しくなる構図ができあがってもいるようで。

 

これも元をたどれば資本主義経済の下、「もっともっと儲けるにはどうしたらよいか」ありきのとばっちりでしょうか。

ともすると、資本主義なればこそ努力すれば報われるものとして、チャンスがあるように見えたりするのかも。

 

実際、GAFAとまとめて言われるような企業は努力してチャンスを掴んだのでもありましょうけれど、

そもそも根っこの無い木がどんなに頑張っても枝を伸ばし、花を咲かせることができないように、

歴史的に根っこを取り上げられてしまったところに住まう人たちにはどうしろと?。

 

およそ本書の「食べものから学ぶ」という部分をすっかり端折ってしまいましたですが、

ジュニア新書として本書本来の対象である世代に何かしら響いてくれればと願うばかりなのでありました。