オリンピック競技にも取り上げられるようになって、クライミングへの注目度が増しておるような。
競技の名称としては「スポーツクライミング」と言われて、
基本的には予めホールドの設置された人工壁を舞台に展開するものとなりましょう。
試みに最寄り駅お隣の駅から近いクライミング・ジムで体験はしたことがありませすが、
結構面白いものですな。ただ、壁に取り付けられたホールドはたくさんありますので、
どれを使ってもいいのであれば、わりとてっぺんまでたどりくきやすいところながら、
競技となるとそうはいかないのですよね。
コース設定によって難易度が異なるのは、色分けされたホールドの
どれを使っていいのかが決まっているからでして、山登りでもよく言われる三点支持を保っていては
とても次のホールドに届かないと素人には思えるふうに取り付けてあったりするのですよね。
うまい人はこれをすいすいと登っているのですけれど。
ま、ホールドが色分けされているという点で、個人的に色覚に難のある者としては
体験がせいぜいというスポーツではあるところでして…と、それはともかくとして、
人為的にホールドを施していない自然の岩壁などを、クライマーがその場でわずかな手掛かり、足がかりを
見出だしつつ攀じ登っていくのがフリークライミングといえましょうかね。
たまにニュースで高層ビルを攀じ登ってしまった人の話が聞かれたりしますけれど、
フリークライミングのたどり着く先のひとつということになりましょう。
ただ、こういう人たちと、登攀テクニックは登山のためのひとつの技術と考えるアルピニストとは
お互いに志向性の違いを感じているかもしれませんですね。
映画「クライマー パタゴニアの彼方へ」では、そんなことも垣間見えるのでありますよ。
ここでの挑戦は、Amazonのストーリー紹介によりますとこんなふうに。
アルゼンチンとチリの両国に跨る、南米パタゴニア。その氷冠の間にそびえ立つ、3,102mの花こう岩の鋭鋒“セロトーレ"。 1959年の謎めいた初登頂以来、50年以上も物議を醸し続けながらも、世界中のクライマー達を惹き付けて止まない難攻不落の山に、 2008年ワールドカップ総合優勝を果たしたクライミング界の若き天才“デビッド・ラマ"が、“フリークライミング"による前人未到の 登頂に挑む。
謎めいた初登頂といいますのは、イタリア人登山家チェーザレ・マエストリが登攀に成功と宣言するも、
全くの証拠が示せないままになってしまったこと。このことを腹に据えかねたマエストリはあろうことか、
山にエアコンプレッサーを持ち込み、これで打ち込んだ多数のボルトを頼りに力任せの登頂を果たすのですな。
下山にあたっては邪魔な機材とばかりに、岩壁途中の岩棚にコンプレッサーを置き去りにて下りてきてしまったと。
ともあれ、こうでもしないと登攀不可能を思われた岩壁に、フリークライミング、
つまりは人工的に手掛かり、足掛かりを作り出すことなく登ってしまうというのがデビッドの挑戦だったわけです。
確かにスポーツクライミングで実績確かなデビッドであったも、自然相手になんと畏れ多いことをと
冷ややかな視線を置くのがアルピニストたちなのですよね。
雨風に晒されることもない、酷寒に耐える必要もない人工壁とは比べものにはならないと。
まあ、そうでしょうなあ。
実際挑んでみて始めて、デビッド自身、こんなはずではなかったと思ったでしょうけれど、
それほどに自然環境の中というのは過酷なものであるわけで。
この挑戦がまかり間違ってそそくさと達成されてしまっていたら、結末は違っていたでしょうけれど、
デビッドはデビッドでいわば天狗になっていたところを過酷な自然がその長い鼻を挫き、
人工壁とは異なる大自然の中で畏れも抱き、撤退することも余儀なくされながら、
スポーツクライマーがだんだんとアルピニストの言うところを理解していくという。
この辺りは、あたかもビルドゥングスロマンであるとも言えましょうか。
場所が場所だけに『魔の山』というタイトルが思い浮かぶところです。
もちろんトーマス・マンの小説のお話とは全く関わりはありませんけれど、
山を通じて成長する物語、これもそのひとつであったなというふうに見ることもできたように思うのでありました。