2021年4月から「プラスチック資源循環促進法」という新しい法律が施行されるとか。

これに絡んで、先ごろには新法に基づいて削減対象となる12品目が公表されたりも。

使い捨てプラスチック製品としてよく見かけるフォーク、スプーン、ストロー、くし、歯ブラシ、ハンガーなどが

有料化されたり、再利用を迫られるということになるようで。

 

と、そんな折りも折り、近くの図書館の新蔵書コーナーから借りだして読んでいたのが

『プラスチックと歩む その誕生から持続可能な世界を目指すまで』なのでありました。

 

 

はっきり申しまして、ページを繰るごとに大きな衝撃を受けたものでありますよ。

真っ先にレジ袋が矢面に立たされるようになった背景として、海洋プラスチックごみ問題があり、

海上を浮遊するばかりでなく、これが砕けて細片化することで魚が飲み込んでしまい、

ともするとその魚を人は食しているかもしれない…てなところまでは、予備知識ではありました。

 

が、プラスチック製品(そのバリエーションはたくさんあって、一筋縄ではいかないようですが)は

どんなに細片化しても土(有機物)に戻ることはなく、微細なプラスチック片として残り続けるというのですな。

仮に燃やしたとしても燃えカスは決して有機物には返らないと。

 

微細に砕けたものは海を漂うのみならず、ともすると土壌に堆積し、また空気中を浮遊して

人体に取り込まれる可能性も無きにしもあらず。それが、著者がいうのように直接な人体への脅威となるのかは

素人には判然とはしませんが、Wikipediaの「マイクロプラスチック」の項目にはこんな一文がありました。

欧州食品安全機関 (EFSA)は「マイクロプラスチックの人体内での挙動は毒性を明らかにするにはデータが十分でなく、有害かどうかを言及するのは時期尚早だ」と見解を公表している。

声高に有害を叫ぶべきではないということでしょうけれど、

かといってEFSAが「安全です」と言っているわけでもありませんですね。

ちなみに本書の著者はEFSAから雇止めを受けた研究者であるようでして、

見解の相違が大きいということでもありましょうか。

 

何やら新型コロナウイルスのワクチンみたいなもので、誰にも安全なのかは分からないけれど、

当面の被害を最小化するためには必要なものとしてワクチンは存在しているわけです。

一方、プラスチックの方には安全だというお墨付きもないのに

わざわざ使い続けなくてはならない義理もないような。

 

著者はそもそも包装材の研究でプラスチック利用をむしろ推奨する側にあったところながら、

自身が微細化したプラスチック片が空気中に充満した中で呼吸器障害を経験し、

突き詰めて研究した結果として警鐘を鳴らしておりますが、最初はこのあまりに直接的な描写に

「?」と思っていたのですが、先日、畑の手伝いに出向いたときに「これか…!」と思い至ったのでありますよ。

 

7月初めにタネを蒔いたニンジンが目を出し、ある程度育ってきたので、

それまで畝を覆っていた寒冷紗をはがしてくださいというのが農園主さんのご指導だったのですね。

寒冷紗は農園から貸し出されておりましたので、洗って泥を落とし(たわしでごしごしと)、

日に当てて乾かしたところで、所定の場所へ返還する手はずなわけです。

 

他の作業を終えて、さてと干しておいた寒冷紗を折りたたもうとしたところ、

あたりじゅうがキラキラし出したのですなあ。プラスチック製の寒冷紗は何度も使われて劣化が進んでおり、

これをごしごしやって太陽光に当てて…ということで、折りたたむ段階で微細なプラスチック片が辺り一面に

舞い出したという。まさに「これか!」と思った瞬間でありましたよ。

 

キラキラしながら畑の畝へと落ちていき、あとは見極めることもできないまま。

それが土に返ることは全く無いにもかかわらず…。

 

確かに現時点で明らかな健康被害は確認されていないにしても、

こうしたプラスチックの微細片が舞い踊るようすを目にしますと、海洋プラごみの問題で、

きれいな砂浜だと思ったらマイクロ化したプラスチック片で埋め尽くされていたてな話が

やがては海だけの問題ではないのかもしれないとは思い至った次第です。

 

そんなことから、別もので賄えるなら敢えてプラスチックを使わなくても…といった思いを抱きつつ、

近くのスーパーに出向きますと、食品でプラスチック包装されていないものは全くと言っていいほど無いのが現実。

かつて揚げ物などはバラ売り状態で置かれてあったりもしましたけれど、

コロナ禍以降、衛生面での配慮か、すべてプラでパッケージされるようにもなっていますし。

 

読後感としては、可能な限り脱プラを念頭におく必要はあろうと思ったわけですが、

現実レベルの話ではその可能な限りの範囲はかなり狭められているような。

また別の問題とも考えあわせたときに、プラ製品は軽く扱いやすいわけで、

たとえばPETボトルをガラス瓶に代えたとすると輸送コストが増す、

すなわち温室効果ガスを増やしてしまうことにもなるといった面もあるとか。

 

なまじ便利に使ってしまっているだけに脱プラといっても社会全体が歩調を合わせないと難しそうですが、

取り敢えず「まずいのかも…」という部分に目をつぶって便利さの享受に終わってしまっていると、

いざ原発と同じ、も少し分かりやすい言えばアスベストと同じ…てなことだけはならないようにあってほしい。

全体に与える影響力など皆無に等しくはありますが、個人的にいささかの取り組みは心掛けておきたいものです。

リサイクルのための分別をすればそれでよいという問題でもなさそうなのが、難しいところですけれども。