かつてTVでは曜日ごとに「○○洋画劇場」とか「○○ロードショー」とかいう番組名で
日本語吹替版の外国映画を放送している時代がありましたですね。今は昔…です。
その頃に放送された映画は相当量見ているはずなんですが、さすがに中には見逃し系もちらほらと。
このほど見た映画「大列車作戦」はそうした中のひとつであったような気がしておりますよ。
1964年作品ながらモノクロでして、時にカラーよりも馴染む場合がありますけれど、
戦争に関わる話ですとどぎつさが軽減される感はありましょうかね。
とまれ、映画の原題は「The Train」と至ってシンプルで、あまりにシンプルすぎるという判断か、
日本公開時の邦題は「大列車作戦」、あたかも冒険活劇であるかのような変身ぶりではありませんか。
実際のところのお話としては、第二次大戦末期、連合軍による解放を今か今かと待つばかりとなったパリが舞台。
もはやナチス・ドイツは逃げ出す算段に忙しいという状況下なのですなあ。
そんな慌ただしい中、ドイツの将校・ワルトハイム大佐(ポール・スコフィールド)は
美術品を本国に持ち去るべく列車を仕立てる手配をするのですが、搬出元はジュ・ド・ポーム美術館…と。
「おや?! これってあのフランス革命の?…」と思ったのですなあ。
フランス革命前夜、第三身分とそれに加担する人々の代表が集まり、
憲法制定が成就するまで戦いぬくことを誓いあったわけですが、
その会合の場所から「テニスコートの誓い」と呼ばれる…てなふうに、学校の世界史では習ったような。
さりながら実はテニスという競技はまだ誕生しておらず、その前身ともいわれる「ジュ・ド・ポーム」の
コートであったというところから今では球戯場の誓いと言われているそうな…ということで、
そのフランス革命ゆかりであるジュ・ド・ポームのコートが美術館にされていたのであるか? と思いかけたところ、
大革命に関係するコートはヴェルサイユ宮殿にあったものとなれば、別物なのでありました。
一方、パリ市内にあるジュ・ド・ポームのコートはナポレオン3世が造らせものであるとか。
後に美術館に改装されて、ナチス占領下ではかっさらった美術品置き場にされたということなのですな。
美術館当時から(当時としての)現代美術中心で、映画に出てくる移送美術品の作者名に
ピカソ、モネ、ドガ、ユトリロ、ミロ、ルノワールなどなどなどが含まれておりましたですよ。
長い余談からようやく映画の話に戻ってきましたけれど、なるほど作家名を並べてみただけでも
このお宝をパリに置き去りにして逃げ出すのは惜しいと思う気持ちは分からなくもない。
ですが、これを持ち出そうと画策する大佐の執着は尋常ならざるものでありましたなあ。
おそらく映画本来の見どころは、レジスタンスに与するフランス国鉄の鉄道員たちが
(映画の中で)「フランスの誇り」とも言われていた美術品の数々を奪われてはならじと
列車運行のサボタージュを展開するところなのでしょうけれど、
ポール・スコフィールド演ずるドイツ軍将校の執拗さのあまり、
こちらの点にむしろひっかかってしまったような次第です。
迫りくる連合軍からの退避を最優先する将軍としては、美術品の運搬に走らせる列車があるなら、
それを兵員輸送に使いたいと考えるのは必定。大佐の列車運行要請は、一度は却下されるのですな。
これに対する大佐の抗弁として、運び出す美術品は皆高価なもので
何個師団分にも相当する価値がある資源なのだと言いくるめてしまうのでありますが、
本来なら運ばれる兵員が後回しになると将軍も大佐も了解の上となれば、
個々の兵士はモノ扱いされていることになりますですね。
場合によっては美術品を売って得た兵器の方が利用価値があるてなふうにも。
この発想は、物語が進んで鉄道員たちのサボタージュが奏功する段階でもまた出てきます。
列車がダメにされたのなら、並走する道路を引き上げていく負傷兵満載のトラックを停めさせ、
兵は降りろ!美術品を積め!と怒鳴り散らすのですから。
ここまで来ると偏執的なコレクター性が感じられるところでして、
元より美術品の移送がドイツのためなどとは考えておらず、
ひたすらに独り占めを目論んでのことだということは仲間内にさえばればれになってくる。
もはや大佐に手を貸す人は誰もいません。
ところで、サボタージュを組織する側のリーダーとも思しきラビッシュ(バート・ランカスター)は
最初のうち、美術品の移送阻止で鉄道員の仲間を犠牲にするわけにはいかないと考えています。
これはこれで至極全うな考えようとも思うところですが、レジスタンスのお偉いさん(たぶん)からは
亡命政府のド・ゴールからは「美術品死守」の命令が出ていると伝えられる。
「いいかげんにしろ!英国にいて好き勝手なこと言いやがって」とラビッシュが言ったわけではありませんが、
気持ちとしてはそんなところでしたでしょうなあ。
結局のところ、美術品は確かに唯一無二で 守られるべきものではありましょうけれど、
そのためには明らかに人的犠牲が予想される。それでも死守というのであれば、
ドイツの将校と発想は変わらないところがあるやにも思えてこようかと。
もちろん、ド・ゴールは美術品を独り占めするつもりはありませんし、ナチが追い払われた後のフランスで、
それこそ「フランスの誇り」として国民意識高揚にもなろうかと考えてのことでありましょうな。
それが分かるからこそ、ラビッシュたちは組織立って列車運行を阻止し、
美術品をフランスに留め置くことに 成功するわけです。ただし、多くの犠牲者を出しながら…。
美術品などの価値判断は難しいものですね。
やすやすと(ではないかもしれませんが)人の命に代えられるというものでもないでしょう。
取り分け(「レンブラントは誰の手に」などを見ていても、ちらり思うところですが)美術品は
偏愛を生みやすい代物でもあるようですし、唯一無二というのも分からないではない。
やっぱり誰のものであるかというよりは、等しく人類の遺産てなふうに考えた方がいいような。
と、列車運行にまつわる鉄道員たちの暗躍はサスペンスフルで、そちらも当然に見どころの映画ながら、
思い巡らしはこんな具合でありましたですよ。