ほどなく2021年もおしまいになりますなあ。
いろいろ制約続きの中ではありますけれど、2021年もたくさんの見聞きを控え置いてまいりました。
と、そんなときに思い返しますと、遠出ができかねるところからでありましょうか、
映画を見て考えたなにくれを記す機会が多かったような。そして、実は印象を書き留める間もないままに
日々を過ごしていってしまったという映画も結構あるなあということに。
もっとも、映画と言って劇場にはほとんど足を運びませんでしたので、CS放送やらVODやらばかり。
それが故に茶の間でだらりと見てしまうことにもなって、強い記憶に結びつかなかったのかも。
ということで、ここで2021年に見た映画作品の落穂拾いをしておくことにしようかと。
いざ振り返ると、決して「強い記憶に結びつかなかった」という作品ばかりではありませんでしたですよ。
まずは2019年制作のインド映画『ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打上げ計画』を。
インド映画らしくミュージカル・アクション・コメディ-路線を保持しつつも、
これは活劇ではなくして宇宙開発に取り組む科学者、エンジニアたちのお話でありました。
まあ、お決まりといった具合に、一流というには難ありの、一癖も二癖もあるメンバーでチームが作られ、
そこに十分な予算が回ってくるでもない中で、火星探査の衛星を打ち上げるまでの苦闘、そして笑いと涙の物語。
今の御時勢にあって、元気をもらえる映画でありましたよ。
こちらは2017年、スペインとアルゼンチンの合作映画『家へ帰ろう』です。
かつてホロコーストの難を友人の助けで逃れ、今はブエノスアイレスに住むアブラハム。
88歳で身体はがたがたながら、どうしても今やっておかなければならないことがあると、
単身ヨーロッパに旅立つのですな。
目的地はポーランドながら、とりあえず飛行機でスペインに着いてしまったアブラハムは
途中ドイツを通過しないことには目的地にたどり着けないことを知り、愕然とするという。
絶対に「あの」ドイツには足を踏み入れたくないのに…。
ホロコーストに絡む映画は多々ありますけれど、深刻ながらも微笑ましいところもあることに
アブラハムならずとも救われる気がしたものでありました。
こういう言い方もなんですが、以前ならばもっぱら女性がやるものと思われていたようなことに
真剣に取り組む男性の姿を描くお話はどうもイギリスに多いような。これも2018年の英国映画でして、
『シンクロ・ダンディーズ!』という邦題は『ウォーターボーイズ』が作られた日本ならではでしょうかね。
ですが、こちらは実話ベースということに少々びっくりさせられたものでありますが、
本来はスウェーデンの話と聞くと、なんとなく「そうか」とも。
職場でも家庭でも、何事もどうもうまくいかない中年男のエリックでしたが、
ひょんなことから男性シンクロチームのメンバーに迎え入れられると、
思いがけずも「楽しい」という実感が湧いてくるのですなあ。
人それぞれとか個性とか言われながらも、
さまざまな局面で一定の物差しを当てられて優劣が云々される世の中にあって、
好きなことを思う存分やって、解放されていく姿は感慨深いですなあ。もちろんたくさん笑えます。
お次は2016年、スペイン・フランス合作のドキュメンタリー映画『謎の天才画家ヒエロニムス・ボス』、
オランダが制作に絡んでいないのはどうして?とも思うところながら、
お話はもっぱらプラド美術館の所蔵する三連祭壇画「快楽の園」の謎に迫るというものでありました。
15世紀末に描かれたといいますのに、近未来SFのような部分が積み重なって
謎が謎を呼ぶ作品なわけですが、登場する(さまざまな分野の)専門家がそれぞれに語るところは
どれももっともらしいといいますか。もちろん頷けるところも多いとはいえ、「すっきり分かった!」ではなくして、
多様に解釈し得る作品は自由に見てもよいのだと思えてもくるのでありますよ。
2012年のアメリカ映画『トゥ・ザ・ワンダー』については、ストーリーがどうであるかといったことよりも
映画らしい、もしくは映画でしか描き出しようのない展開をこそ見るものでもあろうかと。
ストーリー頼みの映画が多い中では、ある意味、こうした作品は貴重なのかもです。
おそらく評価は分かれるところながら、ドキュメンタリー指向がある場合には見入るかもしれませんですね。
『あなたを抱きしめる日まで』は2013年のイギリス映画。
キリスト教会や修道院の暗部に触れることがタブーでは無くなって、
あれこれ作品がありますけれど、これもまた実話であると。
孤児や親として手放さざるを得なかった子供たちが修道院に預けられるも、
その実、自動売買的に売り渡されていたというお話は、今思えば「なんとむごいことを」と思うも、
少々やっかいな点は(おそらくですけれど)子供を里親に送り出していた側は
むしろ自分たちが良いことをしている、きちんと育ててくれそうな人への橋渡しをしているのだからと
肯定的に考えていたのかもしれません。
見返りとして金銭を受け取っていたとなれば、人身売買の誹りを免れないわけですが、
まっさきに大義を思っていれば、事務手数料くらいに考えていたのかもしれませんし。
個人的にこの修道院の肩を持つつもりは毛頭無いものの、
理解する上で一面的であってはいけんのだろうなあとは改めて考えた次第でありました。
…と一作ごと、ひと言コメントくらいにしてさっさか進めるつもがついつい長くなっており…。
にもかかわらず、思い返せば浮上してくる作品はまだまだあるものですから、
さしあたり「続く」とせざるを得ない状況でして。次もこの手の話でまいる所存でございます。