2021年に見た映画(といっても劇場に行くことはほとんどなかったわけですが)で
書き漏らしていた作品の落穂拾いが続きます。こんなのも見た、あんなのも見た…と、
書き出すときりがなくなりそうで(笑)。
まずは2018年のイギリス映画『シェイクスピアの庭』ですが、
演劇界から引退してストラトフォード・アポン・エイヴォンに戻ったシェイクスピア晩年のお話でありますね。
かつてストラトフォード・アポン・エイヴォンを訪ねて、シェイクスピアゆかりの地を見て回った折、
方々で色とりどりの花々が咲き競うイングリッシュ・ガーデンを目にしたことを思い出し、
演劇の後は園芸かいね…と思ったり。
話は確かに庭作りに関わるものの、シェイクスピアの息子観、娘観はこんなふうだったのであるか?と。
今の時代からみれば…かもしれませんけれど、逆に「実は女性こそ」的なもっていき方こそが
今なればこそなのかもとも考えたものでありました。
こちらは2015年のフランス映画『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』でして、
昔なら「いかにもなフランス映画」を代表するような監督クロード・ルルーシュ作品だったのですなあ、これ。
いささか女性にだらしのない映画音楽作曲家のアントワーヌとお堅い(はずの)大使夫人アンヌが
出逢ったところがインドでありまして、インドにはやはりマジカルな印象があるのでしょうなあ。
サイババによる霊感のようなものを求めて、二人は友人として?インド国内を旅するわけですが、
なかなかに頓珍漢な二人の関係には笑いも。結末はお決まりとなるのは見透かせるとしても
堅いこと言わずに楽しめるとは思いますですね。劇中劇として同時進行するインド版「ロミオとジュリエット」も
二人と境遇を重ね合わせられてよろしいかと。
続いて、2013年のメキシコ映画『マルタのことづけ』。
自らは大変な病気を抱えながら、だからこそなのでしょうか、他人には大層やさしくなれる、
そういう人物造形がままあるともは思いますが、世の中、そんな人ばかりではなろかろうと
至って現実的に考えてしまったりしつつも、そうあれかしとも思ったり。
大変なのはマルタの方なのですけれど、家に招きいれた天涯孤独のクラウディアにかける言葉が
染み入るわけです。「溜息をつくのは呼吸での息が足りていないから」といったさりげないひと言が。
元来、溜息にはネガティブさが付きまとっていて、どこかしらで耳にしたところによれば
「生涯に溜息をつく数は決まっているから、溜息ばかりついていると寿命が尽きる」てなことも。
ともあれ、前向きに、自己肯定的に過ごしている中ではそうそう溜息は出てこないでしょうから、
溜息そのものに対する戒めといいますか、生き方を振り返る意味合いでしょうかね…とは余談でありました。
趣きを変えて、2019年の英米合作映画『1917 命をかけた伝令』を。
第一次大戦下、伝令を託されたふたりの若い兵士が戦場をひたすらに駆け抜けていく姿を
ワンカットで追いかけたような作りで見せる、これまた映画らしい作品でありますね。
撮影も編集も、その冴えを見せつけてくれるのですけれど、結構見ていて疲れる映画ではありましたなあ。
同じく戦争を背景としておりますが、こちらは第二次大戦のお話になります。
2018年の英仏合作映画『ガーンジー島の読書会の秘密』ですけれど、
英仏間の海峡にあるチャンネル諸島は一応英国との関係が深いものの、
距離的にはフランスの方が近いという微妙なところにあって、
戦争中はナチス・ドイツの占領下におかれていたとかいうこともあまり知られず、
本作はそうした背景の中でのお話なのですなあ。
チャンネル諸島に目を向ける契機、どう考えても戦争はいけんという再認識、
厳しい環境下でもそれを何とかすり抜けようとする創意、そんなあれこれを受け取ったものでありますよ。
と、最後はコメディ-を。2018年のフランス・ベルギ-合作映画『英雄は嘘がお好き』です。
先に触れました『アンヌとアントワーヌ』にも出ていたジャン・デュジャルダンとメラニー・ロランが
シェイクスピア喜劇『から騒ぎ』のベネディックとベアトリアスを思わせるあたり、馬鹿馬鹿しくも楽しいですな。
「嘘」と言ってしまいますと、語感的には「嘘つきは泥棒の始まり」といった受け止め方にもなるものの、
「ほら吹き」となればいささか印象が変わろうかと(人を騙す点では差異なしですけれど)。
ヨーロッパにはほら吹き男爵ミュンヒハウゼンの物語が長く受け継がれていたりすることでもあり、
ほら吹きを笑って受け入れたりもするところがあるのかも。本作もそうした下地の上と見ればいいのかもです。
最後はこれまたお決まりのハッピーエンドで落ち着くわけですが、たまにはこういう映画もいいですなあ。